タイ・イタリア

(6)タイ人のアテンダントさんたちのサポート

タイ航空の車いすサポートスタッフと時間つぶし

 荷物検査も終わり、あと2時間くらい時間ができてしまった。出発は午前0時。空港内はタイのお菓子のお土産や飲食店だけでなく、洋服や化粧品、バック等ブランド物も売っているデパートのようなエリアがある。前にバングラデシュへ行った時もタイに一度降りたため、見たことのある景色で懐かしかった。その時は初めてでなんでもお店を見て回ったような気がするが、さすがに午前0時は少し疲れているため休んでいたい。

 荷物検査のあたりから一緒に車いすを押してくれた男性の若いスタッフさん(二人)が、検査終了後もずっと付き添って、MichikoとEikoさんの車いすを押してくれた。「どこに行く?何か食べる?見たいものはある?」と聞いているしぐさで、私たちに問いかけてくれた。少しぶらぶらした後、ゆっくり休もうとベンチで休むことにした。しばらくボーっとしていると、同じ係のスタッフさん(男性)が通りがかり、「よ!」っと私たちに付き添っている男性に挨拶をして立ち止まった。みんな同じくらいの年齢のようで、仲の良い感じだった。よくよく見てみると、行きの時に一緒だった兄ちゃんだった!!向こうも気が付いてニコニコしてくれた。

 その後は、みんなでベンチに座ってまったりタイム。Michikoはおもむろにタイの指さし本を出してみた。指さし本は、日常会話に必要なフレーズが書いてあって、指をさしながら話をするツールだ。これで海外の言葉がわからなくても会話が少しできるようになる…といっても使いこなせず、こんなふうなおかしなコミュニケーションになった。

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Michiko    指さし本を兄ちゃんたちに見せる

 兄ちゃんA  タイ語だ!という表情で本をのぞきこむ

        あの~ちょっとを意味する「(年上には)ピー」「(年下には)ノォーング」を指して他の兄ちゃんに見てみなよ!と誘い込む

 兄ちゃんB  お~という表情で「俺が年上だな、お前が年下だ」という感じで兄ちゃん同士で笑いあう

 兄ちゃんA  MichikoにHow old are you?(年はいくつですか)と聞く

 Michiko    「26 years old.(26歳だよ)」

 兄ちゃんA  「ノォーング」をさして俺が年下だよ、という感じのしぐさ

        「24 years old.」

 そこから、仲良しになったのか。ひとりの兄ちゃんがどこかに行って戻ってくると、お水とお菓子を買ってきてくれた。え!いいの?っという顔をすると、いいのいいのという表情で返してくれた。お菓子の袋を開けて、みんなでボリボリ食べていく。タイ語も英語もろくに話していないけれど、兄ちゃんに彼女がいるとかいないとか、Facebookをやっているとかそんな話で時間があっという間に経ってしまった。なんだかこの時間が幸せだった。最後に記念撮影。兄ちゃんたちありがとう~。

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12時間の飛行機!トイレは頼めるのか?

 いよいよ出発の時間になった。搭乗する直前だ。機内まで送り届けてくれた。Michikoを座席に移動させる時の「ヌン、ソン、サン!(1、2、3!)」。はもう定番のかけ声になった。

 それが終わると兄ちゃんたちは手を振って帰って行った。「コープンクァー(ありがとう)。」と挨拶。とっても楽しかった。そしてまた、Eikoさんと二人の旅が再開された。今度は12時間の機内の旅。新千歳空港から出発したのとは雰囲気が違い、日本人はほとんどいない。アテンダントさんも日本人はいなかったはずだ。おそらく12時間ずっとトイレを我慢することはできない。さっきも2,3時間経っているから12時間どころではないのだ!

 深夜0時発の飛行機の中は、窓のカーテンが閉められていて淡い明かりだけの暗さだ。時間的には眠いはずなのに興奮して寝られない。飛行機が動き出して離陸し、落ち着いた頃に周りを見渡してみると、乗客は新聞を見たり、音楽を聞いたり、隣の人と話をしたり、ブランケットをかけて寝たりしている人がいる。MichikoもEikoさんも目をつぶって休むことにした。EikoさんはブランケットをMichikoに何枚かかけてくれた。途中でEikoさんがトイレに行きたくなった。機内は暗めで歩くのが少し大変そうだ。Michikoは、たまたま通りかかったアテンダントさんにExcuse me! と声をかけ、She wants to go bathroom, Where? と尋ねてみた。アテンダントさんはEikoさんにトイレを案内した。

 その後、少し時間が経ってから、機内食が運ばれてきた。確かにお腹はすいている。けれど、少し食欲がなかった。受け取らないで寝ている乗客もいたようだが、私たちはもらうことにした。お腹がすいていても眠れないし、さらに12時間後は、イタリアではお昼の12時ではなく、時差がマイナス6時間のため朝6時頃。そうか、だから夕ご飯が出るんだねと納得した。

 ご飯タイム中に、これまたMichikoちゃんの特権だね、と思わせるエピソードがあった。

 行きの飛行機と比べると、やっぱり疲れている。スプーンやフォークを持って自分で食べようとしてもなんだかふらついて、食べることが少し億劫だと感じていた。Eikoさんは、いつも通りおかずのふたを開け、食べにくいものを切ってくれようとしていた。するとアテンダントさんから「Can I help you? (お手伝いしましょうか)」と声をかけてくれた。お言葉に甘えてお願いをして、食べさせてもらうことに。食事介助は普段は必要ないので新鮮な経験だ。介助を受ける場合は、次に何を食べたいのかを介助する人に伝えることが必要になる。英語をまじめに勉強していると、I want..と正しい文法で言いたくなるが、実はそのようなことはやらなくていい。お肉ならばポークやチキンと言えば良いし、お水を飲みたければウォーター。名前がわからなければ、This!(これ!)と指をさせば、ばっちり通じるのだ。少しずつおかずをつまんで食べると、すぐにお腹がいっぱいになった。

 「Finish.(もういいです)」と伝えると、アテンダントさんがちょっと待っていてくださいと言って、どこかに行ってしまった。戻ってくると、「これはファーストクラスのデザートですが、残っていたのでぜひお召し上がりください。」とカップに入ったティラミスを持ってきてくださった!!Michikoを子どもだと思っていたらちょっと悲しいけれど、きっと食欲のないMichikoへの気遣いだろうか。とても嬉しいおもてなしだ。ティラミスも食べさせてもらい、Michikoは思わず「アローイ(タイ語でおいしい)。」と幸せそうな表情をアテンダントさんにプレゼント。アテンダントさんも嬉しそうにしていた。

 食事介助まで頼めるとは思っていなかった。そこでEikoさんが「Michikoちゃん、トイレは大丈夫?」と心配してくれる。タイ空港でトイレをお願いしてからかれこれ4時間以上は経った。Michikoは意外にも度胸がないものだ。いくら食事介助をしてもらったからと言って、トイレ介助まではできないかもしれない。断られたらどうしよう…という思いは消えない。けれど、Eikoさんに気持ちを押してもらって、ようやく頼むことにした。ティラミスをくれたアテンダントさんに思い切って聞いてみることにした。Excuse me. I want to go bathroom, but I can’t. So I need your help.(すみません、トイレに行きたいのですが、自分でできません。なので、ヘルプが必要なのです。)」アテンダントさんはわかったという表情で、他のアテンダントさんにも呼びかけに行った。

 少し経った後に、男性のアテンダントさんが車いすを持ってきて横付けし、Michikoを二人で持ち上げて車いすに乗せた。女性のアテンダントさんが何やら話し合っていた。トイレがビジネスクラスだと狭いため、前の方のもう少しいいクラスのトイレが良いと話し合っていたようだ。男性のアテンダントさんがそこまで連れて行くと、女性の力が発揮された。

女性 「もうここでいいわよ。」はい!よけて!という感じで男性を外に追いやる

男性 OKというしぐさで遠のく

ふたりでMichikoの介助をしてくださるが、トイレのドアが閉まらない。

他の女性二人が大きい布を広げてカーテンが代わりに入口を覆い待っていてくださる。

 この連携プレイが面白くて感動してしまった。機内のトイレは本当に狭くて介助がしづらい。ひとりが上半身を抱え、ひとりがズボンを降ろして行った。揺れる機内の中で、汗だくになりながらもなんとか済ませることができた!きちんとズボンを上げた後、男性を呼び出してまた抱えてもらうことに。次はあなたの番よと言わんばかりに指示をしていて、女性は凛々しかった。座席に戻ってみると、Eikoさんがどうだった?という顔で待っていてくれた。「やった~、トイレ介助頼めたよ~。Eikoさんありがとう。」と言うと、「良かったね、ほんと良かったね、これで安心だね。」とこれまた手を取り合って喜んだ。

 食事を終えた私たちは、テーブルに飲み物だけおいて眠ることにした。アテンダントさんも枕やブランケットの位置に気を使ってくださり調整してくれた。車いす&ステッキコンビの旅は4日目を迎えている。あと6時間後くらいにはイタリアに着くが、まだ実感がわかなかった。とにかく機内でトイレ介助を頼めたことに興奮をして心臓がドキドキしている。先のことよりも今の喜びに浸りながら、高まる気持ちを抑え目をつぶった。

【2020年記】これで第1章が終わりました

 ここまでお付き合いいただきありがとうございます。タイの旅の章がいったん終わりました。第2章は、自分の歴史の話をしながら、どうして私が旅をするのかを書いていきたいと思います。

 引き続き、お楽しみください。

【2020年記】声をかけてみると思ったより心配なかった

 20代の私は、旅をする前も、している途中も興奮してばかりだった。何が起こるのだろう?介助を頼んで拒否されてしまわないか?などの心配が絶えない。そして、出会った人々、出くわした経験に、いちいち反応してしまう私であった。

 今となっては、そういった新鮮な反応は、とても大切なことだと改めて気がついた。若い時は、知らないことが多いため、逆に危ない橋を渡ろうとしようとする。旅慣れしている人、旅に慣れていない人が見ても、「それはやめたほうがいい」と言うこともあるだろう。人は、挑戦したことのないことに臆病になりがちだから、「やめたほうがいい」と言ってしまう人は必ずいる。しかも、体が不自由な人が無謀なことをしようとしたら、なおさらだ。

 しかし、いろいろなところにネットワークを作っておくと、そういった心配も小さくなる。今回は、イタリアでも日本人のクリニックを探しておいていた。YUKAさんが紹介してくださり、実際にお世話になった。

 そして、空港のスタッフやアテンダントさんに声をかけて頼んでみると、思っていたよりも対応してくださる。それはたまたま?うん、たまたまの偶然かもしれない。偶然を呼ぶためには、声をかけないと始まらない。そこを勇気出してやってみるか否かが分かれ目になると思う。

 ある程度、いろいろな心配をして、準備をたくさんしたら、本番の旅は意外とうまくいくものである。それが旅、そのものなのかもしれない。

追記

この記事は、2012年11月2日から12泊13日でタイとイタリアへ旅をした時のノンフィクションの物語です。以前に本を出す予定で書き溜めていたものですが、色々とあって出版には至っていませんでした。

それを知った友人が「それはもったいない」と言い続けてくださり、最近ようやくこちらに載せようと思い始めました。

連載ものになっていますので、ぜひゆっくりと読み進めてみてください。

今では、新型コロナウィルスの影響で、タイやイタリアに住んでいる友人や出会った人々が元気に過ごしていらっしゃるか、心配しています。

友人に気づいてもらえたら嬉しいなという思いで、連載で載せることにしました。

どうかお元気でいらっしゃることを願って。

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