生きる

風当たりが強くても、必ず穏やかさが戻る

いつもの平日の朝が始まりました。でも、いつもと違って、今日はヘルパーさんのシフト作りをしなくてはいけないため、朝7時半から1時間でほとんど作り終えました。やらなくてはいけないことを先にやっておくと、朝から気持ちが良いですね。

今月で誕生日を迎え、また一つ歳をとりました。皆さんは一つ歳をとるたびに、何を思いますか?

私は、いつも今が一番良いなと思っています。よく、前の私の方が良かったととか、今は全然楽しくないとか思う人もいますが、いつも「今をどうやって幸せに生きるか」を意識するようにしているので、私の時間はとてもゆっくり流れている気がしています。と言っても、自分一人だけで生きているわけではないし、社会の仕組みが生きづらいものになっていると、周りの状況次第で「自分のペースでコントロールすること」が難しくなってきます。

私の今の年齢は、だいたい「人生の折り返し地点」に位置します。まだまだ若いじゃん?と思われることもありますが、「人生が残り半分だ」と思うと、身が引き締まるというか、「半分生きたから、また違った人生をもう一回してみよう」という気持ちになるのです。

今日の朝、親に電話をすると、誕生日おめでとうという話とともに「よく頑張っている。みっちゃんは私の宝だ。」と言ってくれました。親とは小学生までしか一緒に住んでいなくて、ヘルパー制度が何もなかった時代だったから、10代以降は離れて暮らしていました。学生が終わっても、そのまま一人暮らしをし、障害者運動をやったり、仕事をしたり、ヘルパーの利用の仕方を試行錯誤して時間に追われたりと、親と一緒に過ごす時間を取ることができませんでした。そんな中で私を認めてくれたことに、心から感謝。感謝し尽くせません。

さらに、「これまで済まないことをしてきたね。」と言われて、色々考えさせられました。「私の人生の前半」は、今のように、障害者が他の障害のない人と同じように、同じ学校への入学、買い物や気軽な外出、親から自由になる一人暮らし、お金を稼ぐための就職などができなかった時代でした。その前の時代は、障害者を隔離することも当たり前でした。だからこそ、障害者が外に出ようとすると、世間の風当たりが強く、医療や福祉という狭い領域でしか存在が認められない状況でした。そんな中で、親が障害のある子を育てながら、心穏やかにしてと言われても無理なことだったのです。

何もかも風当たりの強かった時代から20数年が経ち、親が「済まなかった」と私に言えたことで、何もかも帳消しになれば良いなと思いました。言葉にして過去のことにできたことは、私たち家族にとって大きな進歩だと思いました。

さて、これからどうしようか。

今は、十数年のヘルパー生活を経験し、やっと体制が落ち着いてきました。これまでは、生活の土台となるヘルパーの体制が整わず、さらに重度の障害者が就職するのは困難で、社会で何か活動したり仕事をしたりできなかったのが、私にとって大きなロスでした。それでも、たくさんの素晴らしいヘルパーさんと出会ってきたことで持ちこたえていたので、その方々の出会いにより、今の安定した生活を手に入れたのだと思います。

だから、「私の人生の後半」はその大きなロスを取り戻し、体と頭が動く限りは、できることを全てやっていきたいなと思っています。

「人生は1回しかないんだから、忙しくしていなさい。」という言葉を親からいただいたので、人生の折り返し地点も順調に回って、スタートダッシュできそうです。

それでは、また。

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