つぶやき

雪の少なさに喜んでもいられない

クリスマスシーズンから年末にかけて、厳しい寒さとなる予報。ただ、例年と比べて雪が少ない。車いすにとっては、まだまだ自分で動くことができると喜べる状況だ。ただ、今日のラジオのニュースを聞いて、「雪の少なさに喜んでもいられない」のかもしれないと思った。

世界では、多くの国や自治体で「気候非常事態宣言」を出している。温暖化による気候上昇、海水面の上昇、猛烈な台風、豪雨、洪水、干ばつ、山火事などが、日本も含めて世界中で頻繁に起こっていることは、経験上でもより現実的になってきた。オーストラリアやイギリスをはじめ、2019年8月時点で18カ国935の地方政府、自治体が宣言を出し、住民数でいうと2億人を超えている。日本は長崎県壱岐市(いちきし)、神奈川県鎌倉市を筆頭に宣言を出しているが、その後が約4府県しか出されていないそうだ。

私は、ニュースを聞くまで全然知らなかった。そこで関心を持って聞いていたのは、「温暖化対策へのイメージが、日本と世界で比べると全く違う」ことだ。それは全く逆だった。

日本:不便なこと、生活の質を低くする

世界:地域を良くしていく取り組み、生活の質を高くする

プラスチックの大量消費だけとっても、「コンビニで食べ物を買ったほうが楽だし、ビニール袋に勝手に商品を入れてくれる。いちいち袋を断るのも面倒だし、私が努力したって何も変わらないでしょ。もう日本はそういう便利なシステムなんだから。」と思うかもしれない。

私も忙しいときや、体調が悪いときほど、早く用意できるプラスチック容器に入ったお弁当の方が楽だし、ビニール袋を毎回断らなくてはならないのは、たまに面倒に感じる。その自分の感情や生活の楽さを否定する必要はないと思う。

ただ、自分のやってきたことが何につながっているのか、最後まで知っているかどうかが大切である。ゴミ箱に入れたら誰かが始末してくれる、だから自分はそのあとのことは考えなくていいという発想は、自分の足元を全然見ていない証拠だと思う。

その一人ひとりの意識のなさが、ゴミを始末する(焼却する)仕事をしている人へ大きなダメージを与えるし、空気中に与えるダメージが増えていくことになっているかもしれない。

オーストラリアやスウェーデンなどで「気候非常事態宣言」の要求運動を、若者からいろいろな年齢層が集まってやってきたことも知らなかった。私も含めて、目の前の便利さに溺れているから、周りが見えていなかったのだなと、まずはその無知をブログに記録しておこうと思った。

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