障害のある方へ

障害者運動、私にできるのかな

夏ももう少しで終わりそうなとき、今、私は20代のころのことを思い出そうとしています。21歳のころ、私は障害者運動というものに関わり始めました。そこから私の人生がスタートしました。

障害者運動って、体を動かそう!の運動のことではなくて、「障害者にかかわる社会の問題を表に出して、改善していこうとする取り組みのこと」を言います。ということは、障害者が感じる生きづらさは、表に出そうと意識しないと、社会の中に埋もれてしまい「なかったことになる」ということです。そういったことがないように、「一人の生きづらさは、みんなの生きづらさ」という考え方で、バリアフリーを進めたり、教育や就労などの社会の課題を自治体などに訴えたりしています。

私は、全国にある障害者自立生活センターや、札幌の脳性麻痺の小山内美智子さんが代表をされているいちご会、さまざまな障害者団体が結集しているDPIに所属していました。それが20代〜30代前半のころだったんです。でも、大先輩たちが障害者運動をされていて、その勢いがすごすぎて、私はそこまでできないな〜と後ずさりをしていました。

大先輩たちが若いときは、障害者は施設に強制的に、または家族が望んで「隠されてきた」ので、いざ外へ出ようとすると、学校に行かせてもらえなかったり、電車やバスに「あなたたちは乗れません」と断られたりし、近所で生活することを拒否される時代でしたから、かなり大きなことをしていかないとわかってもらえなかったのです。1970年から大きく障害者運動が始まりましたが、50年以上経った2022年も障害者運動は続いています。

こう考えると、私が障害者運動を始めたのは2008年からなんですが、私の時代も小学校で入学を拒否されたり、異性介助が当たり前だったり、バスなどを利用するときに事前に予約が必要だったりと、まだまだ問題は山積みのように感じています。たとえ、昔のように、あからさまに拒否されていなくても、「障害」を個人の問題だと思われているような社会の態度や発言があります。たとえば、施設で生活するのは仕方がないとか、「バスの予約は必要でしょ、乗れるだけマシだ」とか、「障害を負ったら、今までのことはできなくなる、終わりだ」とか、障害者が「挑戦する番組」(24時間テレビ)にしか出ていないとか、決まりきった一方的な見方がされていると思います。

そんなこんなで、障害者運動にかかわるということは、とてもディープで、自分の気持ちを強く持たないとできないことだとずっと思っていました。だから、ずっとかかわっていたけれど、私ができたことってなんだろう?と自分でもわかっていませんでした。でも、今まで悔しい思いをしてきたのは本当のことです。なので、社会へ訴える必要性は、痛いほどわかっていました。一方で、そのことばかりに目を向けすぎると、「障害者である前の一人の人間であることや女性であること」を忘れ、入れ立てのコーヒーを心から楽しめられなくなっていきました。私よりも体を張って運動をしていただいている方々にくらべると、何を言っているんだか!ですよね。

そうやって何年もモヤモヤしていたとき、ある障害のある女性のブログに出会いました。そださんという股関節形成不全症を持っている女性です。

でーそ日記 United:国連障害者権利条約 初回対日審査 in ジュネーブ振り返り

この記事を読んで、心の音がどくどく鳴りはじめました。

私は前の記事で、「障害者の権利」は無視できない大切なことという記事を書きました。そこでご紹介した国連の障害者権利条約の対日審査にかかわった一人が、そださんです。曽田さんのブログには、この日が来るまで、たくさんの障害者やさまざまな立場の方々が協力しあい、本番では、世界の障害者(障害者権利委員会の委員)に「日本で生きづらさを抱えている障害者の生活や社会の実態」を1秒の時間も惜しんで伝え続けてきた様子が書かれています。そださんは、これまで「事務局のことばかりしていないで、もっと表に出たら?」と言われることもあったそうですが、事務局として、英語と日本語の通訳士としての立場でいようとしたそうです。その役割を今までの人生で一番出し切ったと話していました。きっと、縁の下の力持ちの存在なんでしょう。私も、彼女の文章の表現や、気持ちが動かされて、私が障害者運動の中で出会った人々のことや、そこで形作られた自分のスタンスを思い出しました。

 

障害者運動を始めた21歳のころ、障害者自立生活センターで一緒に活動した出口さんに「生きているだけで、運動しているんだよ。」と言ってもらった言葉を最初に思い出しました。出口さんは、声も小さいですし、表立つ方ではなかったのですが、自治体に交渉する際には、淡々と精密な文章を作って準備をしていました。進行性の障害で呼吸がしづらくなっていましたが、自分の好きなことはとことん楽しみ、美しい女性であり続けることを絶対にあきらめない方でした。化粧水などは徹底していて、めちゃめちゃきれいな方だったな。実は、本当は4年前に久々に会うはずだったのが、大きな地震が起こってイベントが中止になって会えないまま、次に会える〜と思って気を緩んでいたら、その数年後に亡くなられてしまいました。

「何か大きなことをしなくても、日々生活しているだけで運動できているんだよ。」という出口さんの言葉を思い出すだけで、全身にのしかかっていた重りがなくなります。無意識のうちに、15年以上前に言ってくださったメッセージが私のスタンスになっていったようです。

というのも、私が人生で頑張ろうと思ったのは、障害者運動ではなく、日常の生活や仕事でした。社会人になってからも資格を取るために学校に通ったり、仕事を探すためにハローワークに行ったり、事務職や相談員として働いたりしてきました。その間、一緒に活動してきた先輩方は障害者運動を続けていました。本当は、実際の生活と社会運動の両方に力を入れられたらいいのですが、体力的にもそういうわけにはいきませんでした。また、日々のヘルパーさんとの関係作りや生活の基盤づくりにも時間と労力を割いています。最初は、そんなことを言ったら言い訳にしか聞こえないかもしれないと思っていましたが、本来は生きるだけでも、生活するだけもたくさんエネルギーを使うものだと思っています。

実際に、高校のときの同級生(障害のある友人)で、フルタイムの仕事で通勤するだけでも体力を使い疲れ切っている友人や、仕事中に介助を使えないためにトイレを我慢してまで働いている友人などの姿を見て、胸が痛くなったし、私もそのうちの一人でもありました。

これまででわかったことと言いますか、私が大切だと思ったのは、「障害のある人それぞれが生きている場所で困っていることや大変なことを抱えていて、表に出ていない声がたくさんある。ほとんどの人が生きるだけで精一杯だから、障害者運動と言うと手も足も出せない。でも一つとして、埋もれてもいい問題なんてない。」ということです。

それぞれの生きている現場でいっぱいいっぱいな状態だと、本当は大変なのに「これを言ったらワガママかな」「みんな我慢している」と言葉を出さなかったり、「何を言ったって、何も変わらない」とあきらめたりしてしまいがちです。私も、そうでした。そこで、やっぱり必要なのは、障害者運動だし、それを中心に活動している人の存在だと思います。我慢してきた多くの障害者やご家族などと、障害者運動の当事者の方々は、「身を削ってやってきた」という意味で同じだと思います。

そのことを力強く語ってくださったのが、障害者権利条約の日本の報告に携わったキム・ミヨンさんです。そださんが、日本語訳をつけて、先ほどのブログに載せてくださっています。すぐにリンクに飛べるようにしますね。→キム・ミヨンさんによる閉会のあいさつ

そださんのブログの中に、こんな記述があります。

(中略)ミヨンさんが涙につまったのは、
人生をかけて障害者の権利のために闘ってきた人たちと、
ちゃんと対話してください
」と言った場面だった(中略)

 

私も、思わずまた動画を見返しました。最後の方を見落としていました。
そださん、教えてくださってありがとうございます。

そして、キム・ミヨンさんに、障害者が直面する社会の問題と「一つしかない解消への道」を代弁してくださり、目の奥が熱くなるくらい感動しました。

 

私にも何かできることはあるかな。今は、また改めて考えています。

生きているだけで、社会へ発信している

だから、どんな人も、
私たちが身を削ってきたことは
他の誰かが抱えている社会の問題だ

と思ってほしいです。

POSTED COMMENT

  1. そだ より:

    ブログ紹介してくださってありがとうございました。とても心に残るのぼりぐちさんの文章でした。

    「障害のある人それぞれが生きている場所で困っていることや大変なことを抱えていて、表に出ていない声がたくさんある。ほとんどの人が生きるだけで精一杯だから、障害者運動と言うと手も足も出せない。でも一つとして、埋もれてもいい問題なんてない。」

    本当にそのとおりだなと思いました。わたしも以前は差別の中でもフルタイムで(肩肘はりっぱなしで)働くのに精一杯な障害者でした。障害者運動に関わっていない障害者を「フリーライダー」のように捉えるのには違和感があって、みんなそれぞれ精一杯生きている、は、本当にそうだと思います。

    運動は、デモしたり国連にいくだけが運動ではなく、出口さんおっしゃるとおり「生きているだけで運動」だと改めて思いました。どこかでお会いできる日を楽しみにしています。

    • そださん、コメントくださって嬉しいです!本当に、埋もれてもいい「生きづらさ」なんてひとつもないんですよね。私は、体が二つあったら、最強だなと思っています。もう一人は、社会へ運動をしてほしいです。友人にも、働いて疲れ切っている友人がいて、その方の顔を見るとやっぱりできることはしなきゃなと思います。そださんたちが集めてくださったパラレルレポート、まだしっかり読むことができていませんが、きっと勇気づけられる人は多いと思います。現場の声がもっと知られて、社会が変わっていけたらと思います。これからもよろしくお願いいたします。

  2. おっさん より:

    むかしさ、私は障がい者としてしか、生き方がないの?

    運動っていうものに参加しないといけないの?

    とか言って(笑)

    倫子は倫子でしかないから、自信持てば良いのに。

    そんなこと言っても、若い頃ってね

    不安定だったりするしね(笑)

    もがいてた姿を思い出すよ。

    久しぶりに会ったら 酒飲みながら色々教えてよ。

    そっち行きたいなー。

    向かい風も人生。人生を楽しもう。

    私たちの命は、輝いてる。それは違いないから。

    そんな感じ。

    うまいさけのもーぜー。

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