1日だけでも、車いすに乗って生活してみると、いつもとは違った世界が見られる。何年か前に、札幌オオドオリ大学で「車いすで街を泳いでみよう」という、一般の方の車いす体験イベントを企画した。参加した方は、いつもと同じところに行っただけなのに、疲れ果てていた。

本屋さんを車いすで回るだけでも、本棚は高くそびえるビルのように見えるだろう。ただ1冊探すだけでも、マニュアルのある工場のように、細かい作業をいくつもやっていかないとならない。①上の棚にある本を見るのに、本棚から離れて遠目で見る→車いすを移動させる、②タイトルだけ見て判断する(気軽に手に取れない)、③関心のある本を誰かにとってもらう(手伝ってくれる人を探す)、④買わないなら、誰かに戻してもらう(また手伝ってくれる人を探す)。
立つことができれば、少し関心があるなと思う本に手を伸ばし、ページを好きなようにめくって、すぐに飽きても戻すことができる。「これをしたい」という思いと動作がほぼ一緒になり、もういいやと思ったら、すぐに戻すことができる。それができることで、他の本との比較をすぐにでき、より自分にあった本当出会う確率が高くなる。
生活や人生も同じような気がする。いろいろな細かい選択を瞬時にできることは、自然でスムーズな気持ちにさせてくれる。ここで、すぐに何かを試せる状況になかったら、あきらめてしまったり、もっと根気をつけてから臨むことになる。人にとって、自分を奮い立たせて精神を鍛えることは、ある程度できても、限界がある。やってみて、それが自分にとって良いか悪いかを検証して、またやってみる、もしくは、他のことをしてみる、の繰り返しである。
自分から見える景色が険しい場合、誰でも心が折れる。でも、本棚が低い本屋さんに行けば、子どもたちや高齢者なども自然に居られる場所になり、結果的にみやすくて、手の届きやすい位置になる。
車いすに乗ると「思い」と「行動」がバラバラになってしまうのもおかしくない。より車いすでも生活しやすい環境になれば、誰でも「思い」と「行動」を一緒にできる自然な暮らし方ができるのではないだろうか。そんなことを日々考えている。