生きる

言葉にできない・言葉が伝わらない

関西に住んでから、めちゃめちゃおもしろいなと思ったのは、「会話がテキトー」っていうなんとも言えない「言葉のゆるさ」かげんです。良いかげんっていう言葉の「ほどよい」の意味だと言えるかもしれませんね。

とにかくめっちゃしゃべって、「あそこに新しいスーパーができて、「×▽○」っていう有名なおいしいお菓子(かし)があるんやて、ほんで有名なシェフが作ったらしいんよ。有名人が作った店らしくて、朝から並ばんと買えんらしいで。」って、人によってはマシンガンのように早く話します。関西では普通のことだと思うのですが、ベテランさんは、10分足らずで、1時間半くらいの内容の話をしてくれるものだから、時間の感覚がおかしくなることも。

そして、「有名人ってだれ?」って聞こうとする前に、マシンガントークの最後に「よー(よく)、知らんけど。」と言われて、ずっこけたくなることもしばしば。めっちゃ、知っているように話すやん!と関西弁でつっこみたくなります。

 

そんなこんなで、私は、話すときにめちゃめちゃ緊張するほうですが、気持ちのハードルが低くなったような気がします。めっちゃ話したあとに「知らんけど。」と逃げ道として言えれば、話し始めるときに気が楽になるような、そんな感じがするのは私だけでしょうか。

 

よー、知らんけどね。

 

さて、自分の思いを言葉にすることって、とても難しい。
10代のときも、20代のときも、30代のときも、うまく伝えられなくて悔しい思いを何回もしたことがあります。言葉に出すことさえもできなかったとき、もっともっと悔しい思いをしました。

どうして、言葉にできなかったんだろう。
今までのことを振り返ってみました。

  1. 周りに同じように考えている人がいなかったから
    (健常者がぜったいに多い学校や職場など)
  2. 同じように考えている仲間がいたとしても、他のグループの方が力が強かったから
    (学校では、生徒より先生のグループの力、病院では患者より職員の力が強いなど)
  3. 言葉にすることで、不利な状況に立たされるから
    (施設で男性職員による風呂介助を拒んだら、その後、周りの職員の態度が厳しくなった)
  4. 相手に伝わる言葉が見つからないから
    (相手の価値観では、受け入れてくれない言葉がある)
  5. 伝える練習ができる場所がなかったから
  6. 上記のことから、「感情をなくして何も考えない人」にならなくては生きていけなかったから

 

上のそれぞれの内容にツッコミを入れると、

  1. 周りに同じように考えている人がいなかったから→みんなさ、けっこうグチを言ったりしてるんだけど、それって幸せなことなんだってわかってほしいよね。友だち同士でさ、遊んでいるときって、先生や親がいないところで、思っていることとか言えたりするよね。ちょっとしたガス抜きって大切。ガス抜きして家に帰れるから、ふつうに元気に「ただいまー」って言えるんだと思う。
  2. 仲間がいても、他のグループの方が力が強かったから→「力が強い」にもいろいろあって、いっしょに協力し合って力になってくれるならいいけど、ここで言っているのは「違うグループが言いたいこと、やりたいこと」を話し合いもなく、押さえ込んでしまう力。ときどき、自覚がない(相手を傷つけていることに気づかない)人もいる。だから、友だち同士や、仲間同士で話していることをやめさせようとしたり、一方が正しいということを当たり前だと思っている。→たとえば、「子どものことを子ども抜きで決める」「育児をしている親御さんのことを、育児をしたことがない人が決める」とか。同じように「障害のある人のことを、障害のない人が決める」ということも問題になっている。
  3. 言葉にすることで、不利な状況に立たされるから→よく意見する人を「やっかいな人」と思うような空気があるような気がする。私は、「自分の生活や生き方にかかわる問題」しか、ほとんど意見したことがない。それに、誰かが困っていたら、改善したほうが他の人も生きやすくなるのではないか、と考えてきた。たとえば、男性職員が女性のお風呂介助をしなくても、ドライヤーで髪を乾かす担当になったり、男性の介助に入ればいいと思う。いっしょに性の問題について話し合うことだってできるんだから、意見を押さえ込む必要なんてないのに。
  4. 相手に伝わる言葉が見つからないから→もし、相手が「障害者はなんでもいうことを聞けばいい」と考えていたら、相手に伝わる言葉を見つけるのはかなり難しい。その人は、もし障害者になったら、ガラッと考え方を変えざるを得なくなるんだけど、「他人ごと」と考えている時点では、外からどんなことを言われようと視野を広げることはできないんじゃないかな。→だから、たとえ、うまく伝えられなかったからといって、落ち込む必要はない!

    →もし、お互いに話していることがわからなかったら、「それってどういうこと?」と深く掘り下げてみる関係になれたらいいよね。そのあとは、乾杯して、いっぱいビールを飲もう。

    →でも、個人攻撃はしないこと。ストレス発散のためなら、意味がないから。

  5. 伝える練習ができる場所がなかったから→これ、これ!どうして、こういう場所がなかったんだろう?ちょっと弱音を言うと、強いグループに押しつぶされ続けてくると、だんだん人を攻撃したくなってしまう。私も「健常者はなんでもできるんでしょ!」って怒ったことがある。だって、ずっと、「一人でできなきゃ自立できない」って言われ続けてきたから。実際は、ぜんぜん違った!→伝え方が上手な人って、そんなにいないんだなっていうことが、大人になってわかって、ホッとした。
  6. 上記のことから、「感情をなくして何も考えない人」にならなくては生きていけなかったから→「無感情」「無表情」になったことが、人生で3回くらいあった。周りの圧力に囲まれて、あとは守れるものは、「自分の心」の真ん中なの「芯」だけだった。小さい点。そこまで行ってしまったら、顔の筋肉も含めて、どの筋肉もロボットになってしまう。→一言だけ言えるのは、そうはならへん方がええよ。

 

いろいろ書きましたが、よー、知らんけどね。

自分のことだけ「わかった」と言えます。
他の人のことは、よー、知らん。です。

だから、これを読んで、何か感じたことがあれば、
ぜひなんでも書いてくださいね。

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