「障がい」とは

自分でできることで、この障壁を少なくするには

少しのあいだ、気分転換。
外出自粛をふたたび。

5月に入って、北海道も気持ちのいい季節になってきた。3週間ぶりに少し外に出て、空気を吸ってきた。つい先日まで、風が冷たかったのに、こんなにぬるくなったのかと、ずっと家の中にいた私にとっては、新しい発見だった。木々や葉っぱの匂いが心地よく、「緑の植物の香りって、こんなに深かったかな」と物思いにふけった。

今日は、久々にいろいろな人と連絡を取ることができた。最近までは、ヘルパーさんが来るたびにコロナの話になってしまうので、友人と連絡を取って、さらにコロナの話になってしまうと耐えられなくなってしまいそうで、だれとも連絡を取ろうとしなかった。

この状態に少し慣れてから、外と連絡を取ろうと思っていた。その間は、ひたすら「今、できること」に集中していたため、4月はあっという間に過ぎたが、中身が濃い月だったと思う。

ヘルパーさんや私が気をつけることを、資料にしたり、お知らせしたりしてきた。それが定着しつつあるので、私の気持ちを少し休めていこうと思う。

今日は、散歩して早く家に帰ったが、この一瞬でリフレッシュできた。

また、気がゆるみすぎてしまうと、どこへでも出かけてしまいそうだ。

ゴールデンウィーク明けは、たくさんの人が出ていこうとする気がするので、5月いっぱいまでは外出自粛をしていこうと思っている。先読みして、用心だ。

世間には知られてこなかった施設生活と
同じ感覚を思い出す

10代のときに、障害者が通う学校と併設されていた病院や寮に住んでいたころの気持ちと、今の閉鎖的で動けない感覚が似ている。自分が本当に望んで、そこに住んでいたのではなく、「障害があると普通学校に通うのは難しい」と「社会が言っていた」からだ。しかも、外出さえも自由にできなかった。

みんなは、自由に好きな学校へ行って、好きな友達と遊んでいるのに、なぜ自分だけがこうなるんだろう?と納得がいかなかった。

「周りの大人の言うことなんて、聞かなくていいよね?だって、自分は、こんなに頑張っているんだもん」と気持ちを突っぱねて、反抗することで安定しようと思っていた。

実際に、障害のある人が通う特別な学校のことを一般の人は知らなかった。名前は聞いたことある、という程度だ。「どうしてそういう特別な学校に行ってしまうと、地元の障害のない同じ歳の人と自然に交れなくなるのか」といった疑問すら、世の中にはあまりなかったと思う。

世の中には知られていない狭い世界で、「社会が悪く変われば、自分の生き方すらも決められてしまう」ということを学んだ。

どんな状況になっても、
日常の生活を取り戻したい

今は、新型コロナウィルスによって、自分の生き方が変わってしまうという感覚が世界中に広がった。

だれもが、いつもの外出を少し怖いと感じ、人との接触に敏感になっていく。

生きることに障害を感じるようになった。

しかし、どんな状況になっても、自分たちは、また同じような生活をしたいし、仕事もしなければならない。日常の生活を取り戻していきたい。

そのために、医療関係の方々がたくさん動いてくださったり、行政もなんとか策を考えたり、そして、私たち一人ひとりがなるべく感染者を出さないように気をつけている。

もちろん、自分の身や家族、友人を守るためにも。

いろいろな障壁を、
いろいろなアイディアで小さくしていく

私がこれまで障害者として感じてきた「自分ではどうしようもできない社会にある障壁」と「今の新型コロナウィルスによる世界への閉鎖的な悪影響」は、「一人ひとりが考えて行動することで小さくなっていく」という意味で似ていると思う。

たくさんの障害のある人が、あらゆる交通機関の駅のエレベーターの必要性を訴えて、ほとんどの駅にエレベーターがついた。

高齢者や怪我をした人、妊婦さん、疲れている人、重い荷物を持っている人などの移動も助けている。

たくさんの障害のある人が、パソコンやマウスを不自由な手でも使えるように工夫したり、在宅ワークの必要性を訴えたりしてきた。

今は、外出できない人々が増えて、在宅ワークが急速に発展している。

これまで、講演会で何度も話してきた
「障害は、人の考え方や工夫次第で、小さくなっていく」
「できない」ではなく、「どうやったらできるか」を考えることが大事、
ということが問われてくる。

さらに大事なことは、だれかを非難することではなく、生きやすくなるためには必要なことを意見していくことだ。

自分でできることで、自分の生き方をする

大切なことは、

いろいろな障壁が社会にあったとしても、
いろいろなアイディアや知恵をしぼり、
いつもの生活を送れるようにすること。

そして、人間は、災害やウィルスには弱い、完璧ではない体を持っている。
けれど、自分たちの生き方をあきらめたくない。

私は、たとえ人のサポートがたくさん必要な体であっても、
自分でできることで、自分の生き方をしていきたいと思ってきた。

だからこそ、自分は、だれに何ができるのか、

自分の経験も含めて考えていこうと思った。

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