笑い合ってトイレ介助!?
もっとも大事な介助は、トイレ介助である。二人の看護師さんがケアをしていただいた。Michikoは、座位のバランスが保てないため、車いす以外のところではフラフラ状態になってしまう。つかまるところにたどり着けば、自分で座っていられるため、離れても良いタイミングをきちんと伝えなくてはならない。
タイに滞在してから2日目の朝、ナースコールで呼んだ後、看護師さんが少し不安そうに病室に来た。二人のうち一人は、20代のかわいい女性だったように思う。車いすから便座へ移動するために、一人ずつに上半身と下半身を抱える役割になってもらい、「ヌン、ソン、サン!(いち、にい、さん!)」の掛け声で持ち上げてもらった。その後、パンツをおろしてもらったり、パジャマから洋服に着替えさせてもらったりした。
最初は、持ち上げて移動する時にウーンとうなることもあったが、後半からは一つひとつの動作が成功するたびに、笑みが出てくるようになった。洋服を着る時に、違う入口から着させそうになった時は、「違うしょ、これ、きゃはは(笑)」といった感じで、Michikoも一緒になって笑っていた。実際には言葉はわからないが、その時の場面でよくわかる。
朝はやっぱり「う○ち」タイム。その時は、時間がかかるため看護師さんにはトイレの外で待ってもらいたいと思った。正直、どうやりとりしたかは正確には覚えていないが、もう一人の看護師さんがベテランの方のようで「うんち?」と日本語で聞かれたような気がする。「5 minutes? 10minutes?(5分?10分?)」と聞かれたため、時間をおいてきてくれることがわかった。10分後に来てほしいと頼みつつ、案外早く済んだため、ドア越しにいる看護師さんに向かって思い切って「Excuse me!(すみません!)」と声を出してみた。一度では聞こえなかったようだが、何度か呼んでみると看護師さんが入ってきて、「Finish?」と終わったかいと尋ねてくれた。

トイレを済まし、靴を履かせてもらった。2日目の朝を迎えたが、夢の中にいるようだ。まだタイの雰囲気を味わっていないMichikoだったが、これから丸二日間をタイで満喫し、イタリアへ旅立つことになる。どんなことがタイで起こるのか楽しみだ。
力持ちガーリーさん、観光でも介助

本格的な観光が始まる!車に乗せていただき、いざ一つ目の観光地へ。それは仏教寺院が立ち並ぶ「ワットプラケオ」。タイと言えば必ず訪れる観光名所だ。車窓から見る景色は、やはりタイ。国道のような大きな道路、走っている車、歩道橋、ビルなどを見ると日本と変わらない気がするが、樹木やビルの看板、歩道橋の模様などはまさしくタイそのものだ。
一緒に車に乗っているのは、運転手さんの他に、Oさん、写真撮影の担当のジーンさん、外出のケアの担当になる看護師さんのガーニーさん。ジーンさんもガーニーさんも20代の女性だ。EikoさんにOさんがサポートに付き、Michikoはガーニーさんに身の周りのサポートをしていただく。
まずは、車にMichikoを載せるところから始まる。Michikoを車いすから抱え、座席へ載せる時に、ガーニーさんがためらわずにヒョイッと持ち上げてきた!!決して体格がいいわけじゃなく、細身の体なのに、かなり軽く持ち上げて、Michikoを移動させることができた。すごい!出発して、車が移動する時は、隣に座って手をMichikoの体に触れるようにし、さりげなく支えてくれていることがわかる。
最初の印象で、ガーニーさんは頼りがいのある方だと感じ、かなり安心感を持つことができた。ぜひヘルパーさんになってほしいと思うくらい感動し、国が違っていても、人のサポートをするための大事な素質は変わらないと思った。
ワットプラケオ(エメラルド寺院と訳します。)は、王宮や様々な寺院が広大な敷地に並んでいて、本堂にはエメラルドブッタが祀られ、海外からの観光者やタイ人が訪れるスポットである。敷地は回廊に囲まれ6つの門があるが、そのうちの一つの門番が、古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」に登場する鬼神だ。めちゃめちゃでか~~~い!!!仁王像だ。細かい模様で、ダイナミックな像は見たことがない。


黄金の仏塔はシンプルだけれど、迫力のある塔。時折、観光者の群れに入ってしまうほど多かったが、広大な敷地と迫力のある仏塔の前では、人間のサイズがちっぽけに見えてしまう。日本で気温30度と聞くと、気が滅入りそうな暑さだが(この時、北海道では一ケタの冬の気温)、晴天の中できらびやかな仏塔を眺めながら回ると、その暑さも心地よく感じる。
ワットプラケオに入って間もなく、観光者の群れに流れていた時に、いきなりMichikoの肩をたたいてきた人がいた。なに!?っと振り返ってみると、行きの飛行機でアメちゃんをきっかけに会話をした砂川の男性だった。偶然の2度目の出会いでびっくりした。もしかして運命の出会い!?そんなわけないない。でも、偶然の出会いは面白く、旅の醍醐味だよね。「楽しんでね~。」そんな会話を一瞬でして、その男性も流れるようにして先に進んでいった。Have a nice trip!良い旅をしてくださいね~。
ここを訪れたら必ずお参りをしたい場所は、エメラルドブッタがいる本堂だ。本堂の周りは細かいガラスの模様がぎっしり。本堂の守護神もたくさん立ち並び、威厳を感じる。Eikoさんと一緒にゆっくりのんびり歩きながら、人間はこんな美しいものを作ってしまうのかと感動して見入っていた。

エメラルドブッタは、年3回衣替えをするという。そこは写真の撮影が禁止されているほど洗礼されている。靴を脱いで上がる場所のようだが、果たしてMichikoは車いすのままで大丈夫?良かった~、大丈夫だった。
本堂の中に入ると、天井の高い広間の奥の真ん中に、高々と祀られているブッタがいらっしゃる。ブッタの周りには微細なデザインの天井や飾りが映えている。空気は静けさで覆われていて、前にいる人々は頭を下げて何かを祈っている。私たちも目をつぶり、思い思いに祈り始める。
「この旅がかけがいのない経験となり、無事に帰れますように…。」冒険は大事だが、帰らないと意味がない。この旅が実行できたことに感謝をして、これからの旅をより良いものにしていきたいと改めて思った。

ここで観光のサポートをしてくださった方々にスポットを当てたい。最初に出てきた看護師のガーニーさんは細身なのに力持ちで、とても気配りをされる方だ。飲み物を飲むときはすっとさりげなく出してくれる。自分の飲み物は、バックのポケットに指して、サポートしやすい体勢でいてくれた。他には汗を拭いたり、服の方のラインがずれると直してくれたりする。Michikoが必ず必要な介助は、トイレだけれども、そういった細かいところが大事だったりする。
ガイドで来てくださった女性の方も、ずっとお話しくださった上に、休憩中はかゆいところに手が届きそうな気配りをしてくださった。Eikoさんはステッキがあっても、一人で動き続けることは大変。後半の方では、Oさんとその女性が両脇に立って、Eikoさんを支えてくださった。ずっと歩いていると、汗が垂れてきて、髪の毛が額にくっつく~。水分補給をしながら歩かないと倒れてしまう。ガイドさんは、そんなMichikoの髪の毛を直しながら、うちわを仰いでくださった。
王宮の敷地の中を散策していると、突然、タイ用の携帯電話が鳴り始めた。だれだれ???
「Michikoちゃん、イタリアのYです~!タイの旅は楽しんでいるかい?Eikoさんは元気にしてる~?」YUKAさんからの元気な電話だ。すべては順調だね、気を付けて楽しんでねというメッセージをもらった。タイからイタリアまで飛行機で12時間もかかるくらい遠いのに、携帯電話で話をすることで、手を伸ばしたら届きそうなくらい近くにいる感覚。YUKAさんのこまめな連絡がとてもありがたかった。

ワットプラケオを後にし、次はランチタイム♪お腹がすいてしまった!おすすめの場所に連れて行っていただいた。そのレストランは、チャオプラヤ川が見える絶景のスポットだ。そこから見えるのは、暁の寺「ワットアルン」。川には小舟で移動する人々がいた。タイ人にとっては、船も移動手段であり、川は生活に欠かせないもののようだ。その景色を見ると、時の流れがゆったり感じる。タイは辛い料理ばかりだと思っていたが、洋風の食事もきちんとあった。辛いのが苦手な方は、そのようなレストランを探すと良いんだね。



庶民派なMichikoは屋台での飲食も捨てがたい。目的もなくただぶらぶら歩いて気になるところに立ち止まってみることも、現地に住んでいる人のおすすめスポットを回ることも、旅の一つの方法なんだね。

宿泊場所での介助だけでなく、観光をする時にも介助を受けられる仕組みは初めてだった。普通は家族や自分で手配したヘルパーさんと行くイメージが多いが、その方法もそれぞれデメリットなところもある。家族であれば、移動から宿泊の介助まですべて担うとなると、旅行を楽しむ余裕がなくなることが多い。Michikoの場合は、着替え、トイレ、入浴、ベッドへ寝かせる等の介助が必要であるが、観光から帰ってきてからも家族が介助するとなるとお互いにストレスもたまりやすい。ヘルパーさんも同じことが考えられる。また、ヘルパーさんを頼むとなると宿泊代や食費代、交通費、介助代を払わなくてはならない。そこで「現地に行けば必要な介助を受けられる」という仕組みがあれば、余計なストレスや出費を気にせず、かなり旅行の可能性が広がるだろう。Eikoさんのように、身の周りのことはできても、長距離の歩行が大変だったり、病気のことが心配だったりする人もいる。そのような状況でも、看てくれる病院があれば安心して観光を楽しむことができる。
食事が終わり病院へといったん帰ることになった。病室へ戻り落ち着いた頃に「それではガーニーさんの任務が終わります。」とOさんが教えてくださる。
時間が経つのはあっという間。細身なのにがっちりMichikoをサポートしてくださったこと、とっても感謝しています。ガーニーさんと記念撮影をしてお別れをした。名残惜しいけども、ぱっと終わることで別れにもすがすがしさを感じた。
タイ人の美しさとしなやかさ
2日目の夜は、オリエンタルホテルのタイレストランで、タイダンス鑑賞をしながらタイ料理に舌鼓。海外の観光客が多いことが有名。連れてきてもらわないとなかなか考え付かない場所だ。
それにしても、タイの女性はとても美しい。タイの民謡の演奏に合わせて、色とりどりのきれいな衣装をまとった女性たちが、きれいなラインでくびれた体をくねらせて踊っている。足や手の指先までしなやかにくねらせながらの美しいダンスが魅力的だった。

男性のダンサーのダンスは迫力があって目を離せない。ワットプラケオで見た大きい仁王像を思わせる衣装で、勇ましく戦うストーリーが始まった。セリフがない物語。けれど、槍を振り回したり、ジャンプをしたり、お互いに警戒し合ったりしている様子が手に取るようにわかり、タイの食事もそっちのけでダンスに目が釘付けになった。衣装の模様がとにかく細かく繊細で、その衣装を見るだけでも面白かった。

最後には記念撮影。一番人気のある女性と3ショット。衣装や化粧はもちろん美しいけれど、雰囲気というかオーラがより一層美しさを表現している様な気がする。きっと、その女性の生き方も美しさをあらわすポイントなのかもしれない。そのような方と少しでも近づいてパワーをもらうと自分も頑張ろうと思えてくる。

ナンパもしちゃおうっと
3日目、とうとう今日1日を終えて夜中の24時にタイを出発し、イタリアへ向かう日だ。この日は、近くのお店でタイマッサージを受けて、その後は病院のパンジャッタ先生と今回の旅の感想をお話することになっている。シャワーを浴びてきれいにして静養をしたら、いよいよタイ航空へ送ってもらって病院のスタッフさんと一度お別れだ。
朝、出かける前の身支度を終えると、Oさんとカメラマンのジーンさんでこんな話で盛り上がった。トイレを済まして着替えた後、トイレから車いすへ移動したり、近くのお店まで車いすを押してもらったりするのを男性スタッフにお願いしようか~という話題になった。Oさんにばっちりメイクをしてもらったばかりで、ジーンさんと一緒に「かっこいい人がいたら良いね。」という話になった。
病院の玄関前には、来訪された患者さんの移動をお手伝いするフロントスタッフがいる。そのうちの一人が、ハンサム顔のノイさん。Michikoが少しだけ気になっていた男性だ。す、少しだけだよ、ちょっとハンサムで良いな~って思って。そう話をしたら、Oさんが「じゃあ、彼を呼びましょうか!」といきなり提案。ジーンさんもタイ語で「彼に介助をしてもらいましょうよ。」と盛り上がった。ジーンさんは20代で若く、この話に大賛成のご様子。え?!忙しいのに大丈夫なんですか~?と聞いてみると、大丈夫、大丈夫とさっそく携帯電話で連絡を取っていた。そうそう、これも彼のお仕事?!病院から徒歩3分くらいのマッサージ店まで車いすを押して送ってくださった。
日常のヘルパーさんとなると、どうしても同性のヘルパーさんの方が必要になる。よく「ヘルパーさんって女性って決まっているんですか?」と聞かれることがあるが、もし自分が女性だったら、男性にトイレ介助や入浴介助を受けるのは嫌だろう。障害者や患者さんだから「異性でも介助できる」っていう考え方になってしまうのかな~。
けれど、時に男性に手伝ってもらったら嬉しい時もある。車いすを押してもらって外を一緒に歩くと、なんだか照れくさく、心が躍るような気分だ。ノイさんは車いすの押し方がとても上手。段差もガタンとならずにゆっくり乗り越えてくれた。タイの男性は共通してやさしい雰囲気を持っている。日本人の男性にはなかなかない女性性があって、おしとやかでやさしく接する男性が多いように感じる。
実は、Eikoさんとふたりで手分けして、タイで出会った方々へのプレゼントを用意していた。そのうちのEikoさんが用意していた「ご縁のお守り」をノイさんに渡すことにした。「ご縁のお守り」とは、日本の五円玉に赤い糸をくくりつけたものだ。お財布に入れておくこともできるし、キーホルダーにすることもできるように糸を何重にしてくくりつけている。「ジャパニーズコイン」でもあり、五円=ご縁の意味になるお守りとして、海外の方に喜ばれるお土産だと思いチョイスした。
ノイさんにプレゼント。機内のアメちゃんナンパに引き続き、タイでこれまた五円ナンパをするとは思わなかった。日本でもこれぐらい気軽にナンパできるといいのでしょうが…。海外になると心も体も軽くなってしまうのか、自然にナンパをしてしまいました…(笑)。
誰でも旅ができる「希望のプロジェクト」
私たちはタイマッサージを受け、イタリアへ出発する前の静養のクライマックスを迎えた。最後にお会いしたのは、お医者さんのひとり、パンジャッタ先生。今回の旅の目的やケアを受けた感想等をお話した。
主にOさんの提案から始まり、病院の方々の協力によって実現したプロジェクト。障害や病気があって日常的な介助や医療的なケアが必要な方が、海外旅行等の静養の場所として利用できるようにモデルプロジェクトとして実行された。宿泊時のケアだけでなく、病院から外に出て観光をする時にも看護師さんが付き添っていただいた。普通ならば、宿泊と外出は別々に介助を頼むか、日本からヘルパーさんを有償で来てもらわないとならない。家族と一緒に来たとしても、他に手伝ってくれる人がいれば、家族も無理な負担がなく旅行を楽しむことができる。Eikoさんのように難病がある方にとっては、普段はケアが必要なくても、ゆっくり静養できるベッドがあったり、いつでも看護師さんを呼ぶことができる環境があると安心だ。
今回の旅のきっかけは、「イタリアに行きたい。」というMichikoの突然の思いつきと、それに誘われたEikoさんが二つ返事で「行きましょう。」と言って、何やらトントンと始まったことである。そこに、イタリアのYUKAさんが「今なら私も手伝えるわ。」と賛同してくれて、更にタイ航空のチケットが格安で手に入る時期に重なった。そこで、タイにも宿泊するということで、国際統合医療ネットワークのメンバーであるOさんに相談。Oさんが病院で進めていきたいと考えていた「希望のプロジェクト」の構想とうまく重なった!!
病院としても記録に残していきたいということで、インタビューのビデオ撮影が始まった。車いす&ステッキコンビ、一時的にヒーローになってみた(笑)。その中でみなさんへのメッセージをお話させてもらった。
Oさん「みなさんへメッセージをお願いします。」
Eikoさん「そうですね。病気になっても人生は一回きりだから、病気とうまく付き合いながら人生を楽しんでほしいし、私自身もそうしているし、病気にとらわれないで楽しい人生を送っていきたいと思います。」
Michiko「障害や病気があるとできないことが目につきやすい。本人も家族も「これできない、あれできない」と思ってしまいますが、本人の人生は他の人のものではなく本人のもの。人生は一度きりだし、「できない理由を探すのではなく、できる方法」を考えた方が良いと思います。周りに左右されずにやりたいことをやった方が良いし、でも一人ではできないので、ヘルプを頼むことが大事。頼むことで迷惑をかけてしまうと思ってしまうかもしれませんが、頼まれた方も良い刺激を受けて新しい発見をすることが多いので、実は「いいことづくし」なんですよね。」
このモデルプロジェクトをきっかけに、これから病院でどんなサポート体制を作っていくのか、具体的に考えていくとお話されていた。ひとりの力だけでなく、色々な方の協力があれば、可能性がどんどん広がっていくだろう。とても楽しみ!

いってきます! また戻ります!
とうとう病院を出発する時が来た。ずっとカメラマンとしてついてくださったジーンさんともお別れの時間になった。恋話で盛り上がった時が昨日のことなのに懐かしい。タイで出会った方々のために、お土産を用意していた。日本の浴衣を連想させる色とりどりの布きれ、舞妓さんのデザインのしおり、ガーゼハンカチ、札幌大通のイルミネーションのはがき、ラベンダーのポプリだ。そして、Eikoさんが用意した「ご縁(五円)のお守り」。ナースステーションにいる看護師さんにもプレゼントした。みなさん、手を振って見送ってくださった。
空港まではOさんとナットさんに送ってもらうことに。再び病院の救急車で空港まで運ばれてしまう(笑)。車に揺られながら、イタリアに行くという実感がまだわかないでいる。あたりはもう真っ暗。空港には夜9時頃に着いただろうか。
着いた後、最後のトイレを済ませて「オムツ作戦」を開始した。そして、受付に向い、チケットを見せて荷物を預ける作業がある。ナットさんやOさんがタイ語で取り合ってくれた。再び行きと同じように電動車いすを預けることになった。車いすに荷物ラベルが貼られ、コントロール部分やバッテリーをクッションで覆ってもらう。これは日本と違って、自分から頼まないとならないことが多い。空港用の代わりの車いすに乗って、次のゲートへと連れて行かれる。
「Michikoちゃん、Eikoさん、私たちはここでお別れですね。」荷物検査の手前だった。Oさんやナットさんが元気でいってらっしゃいとハグをしてくれた。「Oさん、ナットさんありがとうございます。」Eikoさんもすでに空港用の車いすに乗っている。あまり長居もできないまま、お別れをしてスタッフさんに車いすを押されて次のゲートへと進んでいった。
いよいよタイを後にしてイタリアへ向かうんだ。徐々に実感がわいてくるようになった。イタリアで何が待っているのだろう。そして、また帰ってきて、イタリアの思い出をタイでお話しできる。いってきます!また戻ります!
追記
この記事は、2012年11月2日から12泊13日でタイとイタリアへ旅をした時のノンフィクションの物語です。以前に本を出す予定で書き溜めていたものですが、色々とあって出版には至っていませんでした。
それを知った友人が「それはもったいない」と言い続けてくださり、最近ようやくこちらに載せようと思い始めました。
連載ものになっていますので、ぜひゆっくりと読み進めてみてください。
今では、新型コロナウィルスの影響で、タイやイタリアに住んでいる友人や出会った人々が元気に過ごしていらっしゃるか、心配しています。
友人に気づいてもらえたら嬉しいなという思いで、連載で載せることにしました。
どうかお元気でいらっしゃることを願って。