関西に来てから、柿を干し柿にしているお家を初めて見た。それは秋が深まった頃からだった。映画「リトルフォレスト(秋・冬)」で、主人公が干し柿を作っていた。干し柿を作っているとき、時々、柿を揉んであげると甘さが増すのだそうだ。ヘルパーさんの実家では、干し柿用の柿が毎年実るので、いつもその柿を取って干しているという。へー、干し柿にするための柿は、普通の柿と違うのか。
見た目はシワシワで、くすんだ色の干し柿。もともとはオレンジでぷっくりとしていたものが、これでもかって言うくらい実が小さくなる。でも、しっかりと詰まっていて、歯で噛み切ろうとしても、一筋縄ではいかない。頑張って噛み切った先に、濃厚な甘味が口いっぱいに広がる。確か、食べようと思えば、下手まで食べられるんだっけ。ずっと食べていないが、干し柿のおいしさだけは忘れない。
人は、見た目をすごく気にするけれど、本当は中身がものすごく大事だ。これは柿の話ではないよ。人の話。人生経験の密度が上がるほど、じわっと感じるオーラがものすごい。先の話で「柿を揉む」と甘くなると言ったが、私は、社会に揉まれることと一緒に描くつもりはない。揉むのは、社会の方ではなく、自分自身が自分を揉んでいくということだ。社会に揉まれればいいとか、揉まれていないから成長しないとか、そういったことを前は思っていた。でも、干し柿を見ると、なんだか違うような気がした。「柿を揉む」ときは、甘くなれと願いを込めて、柿のことを考えている。人間も、自分自身で揉んだり、家族や友人などの大切な人に揉んでもらったりして、「自分の実」が熟していくのだと思う。
