タイ・イタリア

(4)最初に到着した異国で忘れられない思い出

タイに到着していきなり、はっ…バッテリーがない。

 新千歳空港から約8時間、ようやくタイのスワンナプーム国際空港にたどり着いた。機内の入り口が開くと、タイ独特の暖かさが伝わるようだ。車いすの場合、乗る時は一番先だが、降りる時は最後だ。他の乗客は足早にぞろぞろと出ていった。美しいドレスのような制服を着たアテンダントさんは、降りるお客様一人ひとりに「コープンカァー」とおしとやかにお礼の挨拶をしていた。

 辺りが静かになった頃、若い男性のスタッフさん(兄ちゃんと呼ぼう)が機内用の車いすを運んできて、Michikoをふたりで抱える。

「ヌン、ソン、サン!(1、2、3!)」。

 手荷物も忘れず、持って行ってもらうように頼んだ。Eikoさんは、機内から出るまでは歩いていき、そこから普通の車いすに乗って押してもらったようだ。MichikoはMichikoで、車いすを押してもらっているから、Eikoさんがどんな動きをしているのかはわからない。

 まずは、入国審査のゲートを通る。パスポートと入国審査カードを渡さなければいけないが、受付の台が高すぎて車いすだと届かない。けれど、車いすを押してくれているスタッフの兄ちゃんが、代わりに渡してくれた。パスポートの顔写真と本人があっているかどうかを、丸いカメラでチェックされて、あっさりと終了。

 次に荷物の受取だ。ベルトコンベアーの前についた。Michikoはピンクのリュック、Eikoさんはスーツケース。そして、何よりも大事な電動車いすと、二つのバッテリーと充電器だ。さすがに、電動車いすはコンベアーに乗っては来ないので、荷物より先に車いすが届いた。ようやく自分の車いすに乗ることができた。

 が、しかし!車いすのベルトを締めてもらおうと、若い男性スタッフに頼もうと思っても、どうやって締め方を伝えたらいいかわからない!Michikoは、お腹と膝の上にかならずベルトをしないと、座位のバランスをとることができない。座位のバランスは悪いわ、言葉が伝わらないわで、てんやわんやだった。それを隣で見ていたEikoさんはとても心配そうだった。

 ふと、周りに目を向けると、同じく荷物を待っていた若い女性二人組がいた。話しかけてみると、日本人の女性だった!ラッキー!!!「すみません、こことここのベルトを締め直してもらっていいですか。」「はい、いいですよ~こうですか?大丈夫ですか?」これでようやく一安心だ。

 他の荷物も手に入った。だが、しかし!!車いすのバッテリーがまだなかった。

「Oh, I want my battery.」

「…ヴァッテリィ???」

「Yes,ヴァッテリィ!Do you know?」

 何度も発音したのだが、バッテリーの意味が伝わらない。車いすのバッテリーの差込口を指さしたり、Eikoさんも「バッテリーです。」と何度も言ってくれていた。Eikoさんの車いすを押していた、もうひとりの若い兄ちゃんも一緒にうーんっと顔を見合わせながら考えていた。何度もバッテリーだよ!と訴えていると、「バッテリィィー!!」とわかった!という表情で、いきなり語尾にアクセントを置いて発音してきた。え?そうやって発音するの?若い兄ちゃんは足早に取りに行って、きちんとMichikoの手元に届いた。これで安心だ~。

 

感動の涙の後の「オムツ解放」

 まずタイに上陸した私たちは、タイの頼もしい助っ人に合わなければならない。

 さっそく登録しておいた番号に電話をかけた。

 「もしもし、Oさんですか?無事に着きました!今どこですか?」

 「Michikoちゃん、△×●○△にいるよ!」

 空港がなんだか騒がしく、良く聞こえないし、場所がわからない。どうしよう~。心配していたタイ航空のスタッフの兄ちゃんに、携帯電話をハイっと渡してみた。彼らも、私たち車いす&ステッキコンビを無事に送り届けなければならない任務がある。心配そうな顔だ。言葉が通じなくても、携帯電話を受け取って代わってくれた。

 そして、ゲートを出たところですぐに合流できた。あ~、やっと知っている人に出会えた~。

 「Michikoちゃん、よく来たね~。Eikoさん、疲れたでしょう~。」

 出迎えてくれたのは、病院の日本人通訳者のOさんと、広報部のナットさんだ。任務が終わりそうな兄ちゃんたちも、顔がほころんでいた。

 すると、緊張の糸が切れてしまったのか、Michikoは心からこみあげるものがあり、感動して泣いてしまった。自分で泣くとは全く思っていなかったのに。OさんとNさんの顔を見ると安心感が出て、緊張から解放されたからだろうか。

 タイの歓迎のしるしであるお花のブレスレットをいただき、記念撮影をした。その時のEikoさんは、涙を見みせていなかったが、帰国後に聞いてみると、やっぱり感動していたようだった。私たちは、唇をかみしめて笑い、感動があふれていた。

 感動の再会の後、ようやく私たちは、生ぬるいタイの気温に気が付き、北海道・札幌の地の冬装備から一変して、夏の服に着替えることにした。そこでようやく、Michikoは「オムツ装備」から解放されるのであった。

 

さっそく救急車!? Michiko、運ばれる

 自慢じゃないけれど、日本で救急車に運ばれたことはない。そんなMichikoは、タイでさっそく救急車で運ばれることになった。といっても、疲れてはいるが、いたって元気だ。

 打ち合わせの時点で、病院が空港に迎えに行く場合は、救急車を使わないとならないことを聞いていた。それに、早朝からずっと車いすに座りっぱなし、足もパンパンに膨れ上がっている。ようやく横になれるチャンスができた。飛行機に8時間も乗って同じ姿勢でいることは、障害がなくても辛いものである。私たちが乗った時は、たまたま3つほど並んで空席があって、障害がなさそうなおじさんが横になりながらゲームをしていた。障害がある人でストレッチャーや自分の車いすに乗ったままじゃないといけない人がいるが、そういう状況の人が席を予約しようとすると、3,4席分のチケット代をとられてしまうと聞いたことがある。何十万、何百万とかかってしまうのだ。Michikoは複雑な思いで、のんきにゲームをやっているおじさんを眺めていた。

 スワンナプーム空港から車で3,40分かかっただろうか。寝た状態で車に乗っていたため、かえって車酔いをしてしまったようだ。長時間の旅の疲れもドッと来ていた。外はすっかり暗くなり、車のライトが無数に光っていた。

 

ガクンッと疲れが…休養の場所があるという安心感。

 この写真は、タイに着いて2日目の朝食。タイの食事はみんな辛いイメージがあったが、消化の良さそうなおかゆがあった。日本では体が弱っている時の食べ物と思われているが、タイでは朝食や夕食に普通に食べる一品料理。ショウガや緑の野菜、お肉などが細かくされていて、それをお好みでかけて食べた。

 救急車で運ばれた晩に、疲れすぎて食欲がなかったため、さっそくおかゆを食べてみた。ナットさんが「これはおいしいのよ。」と教えてくれながら、食べさせてくれた。食べてみると、あっさりしているが、香辛料がほのかに効いて、味にアクセントがあっておいしい。食欲がなくてもどんどん口に入ってしまうほどのおいしさだった。

 病室はホテルのような空間だ。今回お世話になった病院は、治療の場でもあり、生活の空間であるということを大事にされている。障害や病気があって入院となると、日本であれば気が重くなってしまうが、そんなことは感じない。

 今回、私たちのように旅の途中の休養で宿泊するのは、初めてのケースだ。Oさんが、障害や病気がある人が安心して観光できるようなサポートプランを立てたいという提案をしてくださり、病院としてモデルケースとして私たちを迎えてくださった。空港と病院の間の送迎や、看護師による病院内の24時間体制のケア、そして観光の時のケアなどがあり、それに宿泊代を付けたプランで実行。

 車いす&ステッキコンビも、旅行の可能性を障害がある人に広げていきたいと考えていた。イタリアにいるYUKAさんや国際的に統合医療を進めるネットワークの研究会(国際統合医療ネットワーク研究会)の方々をはじめ、病院の医師や看護師の方々の協力を得て、実行することができた。

 

「言葉」がないことの恐怖

 Michikoの日本での生活では、ヘルパーさんにやってほしいことを言葉で伝えて介助をしてもらっている。座位のバランスが自分で取れないので支えていてほしい、お尻の拭き方は撫でるように優しくしてほしい、着替える時は頭、腕の順番で着させてほしい…細かいところまで伝えている。

 今は、タイ人の看護師さん。英語よりはタイ語がメインで、なかなか話せないむずがゆさがあった。最初は、Oさんに代わりに伝えてもらうことが多かったが、着替えや清拭、トイレ介助の時は離れたため、「Oさん、ひとりにしないで~と思いつつ、看護師さんとの一対一のやり取りに挑戦する機会となった。

 タイは30℃という暑い国のせいか、シャワーや体を拭く清拭を好きな時間にやってくださる。シャワー浴ができなくても、ベッドの上で石鹸をつけ、清潔なタオルで拭き取り、ベビーパウダーのようなさらさらした粉を全身につけていく。タイに到着した日はさすがにシャワー浴に入る気持ちはせず、ベッド上で全部やっていただいた。最初は大丈夫なのかな~と思っていたが、すっきりとさわやかな体になった。体を清潔にするためのケアをする人は、看護師ではなく、それを専門にしたスタッフで英語が全く話せないそうだ。

 ベッドの上でそのように清拭をしたことがないMichikoは、何かを体につけられる度に、「それ、なんだろう。」と不思議な顔で見ていた。Oさんは、Eikoさんと別な部屋でお話をされている。ひとりにしないで~と思いながらも、ふたりっきりでいたことにより、言葉を使わないコミュニケーションができたと思う。

 全身素っ裸で恥ずかしかったが、タオルで隠しながら順番にやっていった。背中をきれいにするために横向きになった時、日本では「横向きます。」と声掛けをすることが多いが、この時は看護師さんがジェスチャーで横を向くことを伝えていた。Michikoもこうなったら表情で伝えるしかない。気持ちが良いことを伝えたかったため、気持ちよさそうな顔をして答えた。すると、看護師さんはにっこりしながら、静かにゆっくりと作業を続けていった。

 1日目の夜に実感したことは、寝る時の体の位置を伝えることの難しさだ。横向きと言っても、腰やお尻の位置、肩の位置、体の傾け角度など、微妙に調整しないとしっくりこないのである。前、後ろ、右、左という単語だけでもタイ語を覚えておけばいいのかもしれないが、「お尻をちょっと後ろに」とか「肩を数ミリ前に」という微細な調整ができない。ささいなことかもしれないけれど、自分が心地よい位置というのは無意識に自分で動いて調整しているものだ。それを他人の手でやってもらうには、やっぱり「言葉」が必要だと痛烈に感じた夜だった。

 看護師さんと目で会話しながら、あっち、こっちと指をさして動かしてもらった。看護師さんも少ないMichikoの発信で、なんとか体を動かそうとしてくださる。言葉を発することができない苛立ちが沸き起こり、もういいや!これでっとあきらめたくなってしまう。

 なんとか完全にではないけれど良い位置に横向きになることができ、看護師さんが帰っていった。Eikoさんと「まずはお疲れさま。やっと来たね。おやすみなさい。」と挨拶。その後、Michikoは、長時間の飛行機で疲れているにもかかわらず、暗くした部屋の中でベッドに横たわりながら、寝られずに物思いにふけっていた。日本では、言葉を巧みに使えるのに、自分はきちんと伝える努力をしてきただろうか。

 ふと、言語障害があったり、ALSのように言葉を発することができなくなったりする人の気持ちを考えてみた。介助する人に怒りをぶつけてしまいそうになる自分に苛立ちを感じたり、なぜ自分はできないんだという嫌悪感に駆られたりしてしまうのではないだろうか。それでも、自分の意思で生き、文字盤や機械を活用して伝えながら介助を受けて生活しているし、講演活動までやっている方もいる。そんなことを考えながら、暗闇で天井を眺めていた。

 そうしているうちに、のどが渇いたり、トイレに行きたくなったりした。思春期の頃、病院や寮生活をしていた時に、夜中に職員を呼ぶことに抵抗があった。それは、呼ぶと迷惑そうな態度をされることがあるからだ。

 Oさんが「いつでも看護師を呼んでください。24時間体制なので。」とお話していた。呼ばなきゃ始まらないと勇気を出してナースコールを押した。「今、行きます。」と言ったのだろうか。マイク越しで一言あり、すぐに来てくださった。看護師さんがベッドに近寄り、「Water? Bathroom?」とお水を飲むのか、トイレに行くのか聞いてくださる。Michikoは、お水を先に飲ませてもらい、トイレにも行きたいと話をした。そして、あとはありますか?と尋ねている表情だったため、再びお水を飲ませてもらった。

 冷静に考えると、「言葉」がたとえなくても、「気持ち」が通じ合うことが大事なのかもしれないと思い始めた。なにはともあれ、Eikoさんとふたりでここまで来られたことは夢ではない。

 そして、まだ旅の始まりなのだ。ネガティブに考える暇がないのだ。まずは明日のために早く寝よう。

タイに到着した日の翌朝に、Eikoさんと朝食タイム

 

【2020年記】言葉のありがたさ、通じないときに初めてわかる

 たとえ言葉を話すことができても、うまく使っている人はあまりいないと思う。言葉を知っているし、言葉を発することもできるし、相手の言葉を聞くこともできるのに、わかるように伝えたり、理解できるように聴いたりすることは難しい。

 短い言葉で終わらせたり、だらだらと長く話したり、イライラして聞く耳がなかったり、勘違いして聴いていたりする。それによって、関係性が崩れてしまったり、仕事もうまくいかなくなったりしてしまうことがあるから、言葉の使い方はかなり重要だ。

 ただ、そもそも、お互いに持っている言語が違っていて、自分の慣れている言葉が使えない場合に、初めて、言葉のありがたさを身にしみて感じる。

 私のように、伝えようとしなければ、水も飲めない、寝返りもできないのであれば、どうにかして伝えないといけないのである。

 タイの看護師さんは、私の表情やジェスチャー、簡単な英語をもとに、私が伝えたいことを理解しようとしてくださった。言葉ではなかなかコミュニケーションが難しい場合、言葉のありがたさを感じるのと同時に、言葉以外のあらゆる方法でなんとかやっていけることを知ることもできる。

 なぜなんだろう。それは、夜中に喉が乾くだろうとか、寝返りをしたくなるだろうとか、手が挟まっていたら痛いだろうとか、人間として共通に持っている生活のこと、心地よさや心地の悪さなどを、タイの看護師さんも知っているからだ。たしかに、同じ人間なのだから、場面と表情とジェスチャーである程度わかるものだ。

 介助をする人・される人のコミュニケーションには、お互いに何を言ったかということだけでなく、お互いに暗黙で持っている生活のスタイル、心地よさと悪さが似ているかが大事だと思う。

 実は、同じ日本人でも通じないことも多くて、苦労することがある。遠慮して言えないとか、少ない言葉でわかったつもりになっていたりとか。しかも、その感覚は人それぞれなので、やっぱり言葉で言わないとわからないと思っている。

 私のように、全身を他人に任せてしまうようなことはしなくても、人に頼んでみるという経験をするといろいろなことが見えてくるはずだ。

 「あれ?私の意図が伝わっていない」「一生懸命やってくれたから、違っていても言わないでおくか」「自分でやったほうが早い」となってしまうかもしれない。

 逆に「こう伝えれば、伝わるんだ」「普段、わかっていたつもりで話していたけれど、意識して聞いていると、あの人はこうやって伝えようとしているんだ」と発見することもある。

 言葉に飲まれてしまうのではなく、言葉をうまく活用して、自分の人生を豊かにしていきたいものだ。

 

 

追記

この記事は、2012年11月2日から12泊13日でタイとイタリアへ旅をした時のノンフィクションの物語です。以前に本を出す予定で書き溜めていたものですが、色々とあって出版には至っていませんでした。

それを知った友人が「それはもったいない」と言い続けてくださり、最近ようやくこちらに載せようと思い始めました。

連載ものになっていますので、ぜひゆっくりと読み進めてみてください。

今では、新型コロナウィルスの影響で、タイやイタリアに住んでいる友人や出会った人々が元気に過ごしていらっしゃるか、心配しています。

友人に気づいてもらえたら嬉しいなという思いで、連載で載せることにしました。

どうかお元気でいらっしゃることを願って。

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