ゆ〜きやこんこっ♪ あられやこんこっ…。
トラックのエンジン音が路地に響き渡っている。遠くから灯油を家まで運んでくれるトラックのメロディが聞こえてきて、もう冬の季節なんだ…と考え深くなる。もうすぐ関西に来て1年だ。
関西に来る前、私は心身ともに体調を壊していた。日々、ヘルパーさんが来るので、それなりに元気でいたし、最後まで後悔しないように、北海道の友人たちとの時間を作っていたような気がする。ちょうど昨年の雪が降り始めた日に、飛行機で北海道を断つ。そして引っ越しが落ち着き始めたころ、灯油を運ぶトラックのメロディを生で初めて聞き、全く違う土地に来たことを実感したのだった。
本当に人脈に恵まれて、北海道で仲良くしていた友人が、関西に数年住んでいた時に働いていたヘルパー事業所にお世話になることになった。まったくの始めから、介助を教えることになったが、スタッフの皆さんのご協力で1、2ヶ月で日々の生活は回るようになった。
ようやく1年が経ったが、今住んでいるあたりをぐるっと散歩してみると、住民も季節の移り変わり方も、自然も、私にとっては、まだまだ新鮮だ。
一方で、何か気持ちがモヤモヤしている。ある交流会があって、私はここでの暮らしや北海道について話すチャンスがあった。しかし、うまく話せなくて、「北海道で雪が大変だったけれど、ここでは本当に少しの雪で済んでびっくりした」という話ししかできなかった。北海道にはもっと素敵なところがあるのに、関西にも素敵なところがあるのに、それを話すことができなかったことにがっかりした。「何てこった」と一日中、気に病んでいた。
しばらく経って、散歩をしてあたりを見渡したあと、「まだまだ気づいていないのが、今の私なんだね」と、自分のことを過信しないことにした。
私が住んでいる地域は、若い人よりも年配の人の方が存在感が大きいと思う。住宅地を歩くと、ずっと住んでいらっしゃいそうな高齢者の方々が、ときどき玄関先から花壇(かだん)の水やりで姿を見せたり、小さな役場でおばあちゃんが何かを相談していたり、小さな喫茶店で少し耳が遠いおじいちゃんがコーヒーを運んでいたり(そのおじいちゃんはのほほんとしているが、ある日、商談しているところを聞いているとグローバルな考えをお持ちの様子)。
私は、改めて、色々な人の息が聞こえ、色々な人の背景がにじみ出る感じが好きで、歩いているんだなと思った。ただ、うまく言葉に出ないんだな…。
そして、ヘルパーさんが私にとっては命をつなぐ大切な存在だけれど、ずっと一緒にいると、周りの風景が感じられなくなる。きっと、ヘルパーさんに気が集中しすぎているからだ。集中しなさすぎると、「自由すぎる利用者さんね」と思われるかもしれないが、やっぱり、私にとっては「自由すぎる」くらいが健全なのだと思うから、この「周りの人々や空気を気持ちよく感じられる」ギリギリのラインまで、自由でいきたいと思う。
せっかく、心身ともに自分が戻ってきたのだから。
