私のふるさと、北海道では雪が積もっている。この季節で一番の雪が降ったそうだ。一方で、今住んでいる関西では雪がまったくない。北海道のピリッとした寒さがたまに恋しくなるが、雪がないので、いつでも外へ飛んで行けるし、頭痛が起きることがほとんどなくなった。
最近、書いてため込んでいた日記を読み返している。その日その日の感じたことはすぐに書くようにしているが、それを出すタイミングがつかめない。それなら出さなくてもいいのかもしれない。
でも、障害がありながら、普通に暮らすということの難しさは私だけのものではないと思っているから、書いていきたいと思っている。普通に暮らしている様子を書いていくことで、「もう自分の人生が嫌だ」と思った時に、「こんなこともあったよな。だったら、今もなんとかできるか。」と思えるといい。
自分が思っているより、ありふれた日常や人々が自分を救ってくれるのだ。そんな日常を描いた記事を読み返してみた。
寄り道のアッサムティー
2019年4月

札幌いちご会の理事会の帰りに、自宅の最寄り駅の近くにある喫茶店に寄った。前から行きたいと思っていたところだったが、扉が外開きで、誰かに開けてもらわないといけないので躊躇(ちゅうちょ:えんりょ)してきた。人にいろいろなことを頼んで海外に行く私でも、精神的に疲れていると、ちょっとのことでも頼むのが面倒(めんどう)になってくることがある。そういった状態が続いて、来ることができなかったのだが、友人とたまたまそこで食事をすることになり、すごく良い店だということがわかって、ハードルがぐんと低くなった。前から好きだった人とランチすることができた日でもあり、ますます嬉しくなってきたのだ。
今日は1人でその店に寄った。お店の横には、ビルの管理人さんがいたため、そのおじさんに遠慮(えんりょ)なく頼んで、ドアを開けてもらった。1人で来た時は、カウンターに座ろうと思っていた。なかなか簡単に車いすごと入れるお店はないので、とてもうれしい。前にランチセットで頼んだアッサムティーを選び、砂糖やミルクで甘くする。アッサムティーを目の前で入れてもらっている間、私は一生懸命自分でマフラーを外し、お茶を飲みながら読もうと思っていた本を少し時間をかけてカバンから取り出していた。ヘルパーさんがいたらもちろん楽に出すことができただろう。でも、ヘルパーさんがいれば1人だけの空間を持つことができない。自分で時間をかけて用意するこの瞬間を大切にしたいし、もし自分でできないのなら、店員さんに頼めばいい。帰りには店員さんと仲良くなり、マフラーを巻いてもらえば良いのだから。
この前、札幌いちご会の小山内さんに、「あなたの原稿はほんとに面白くないわ。なんか大学の先生みたい。自分の殻を破らないと、面白い記事は書けないわよ。」と言われた。小山内さんは、もう嫌われてもいいと思いながら話をしてくれたようだったが、私自身も、自分の記事を面白いと思っていなかった。私は周りに合わせて、差し障りのないことばかりを書いてきたのかもしれない。これまでのように、登り口さんはすごいねって反応が終わってしまうような書き方や話し方しかしてこなかったのかもしれない。嫌われてもいいから、自分の思ったことを素直に吐き出していくことを小山内さんから言われてきた。誰かに嫌われても、誰かには真の意味で支持してくれる。無難なことを言っても、誰からも反応を返してくれない。きっとそういうことなんだろうと思う。
何日か経って、また、札幌いちご会にお邪魔した時、沢口京子さんが「いつも原稿書いてくれてありがとう。面白いわ。」と私に声をかけてくれた。沢口さんが小山内さんと活動してきた時代には私は関わったことはなかったが、沢口さんの、小山内さんとは違う絶妙な優しさを体感することができた。何日も経っているのに、あの時の小山内さんの叱咤激励を覚えていたのだろうか。私にそんな優しい言葉をかけてくれ、何か中和されたような気がした。