生きる

実は、背中を押してくれる「何か」を探している

昨日は新しく入るふたりのヘルパーさんの研修で大忙しでした。1月からお一人で仕事に入ってもらうために、急ピッチで研修をしているところです。

前回のブログの続きで、「年賀状やめます宣言」をハガキで出したあとに、中学・高校時代の同級生から「中学生のときの似顔絵の記事見たよ。久しぶりに思い出して、〇〇に連絡を取ってみたら元気そうだったよ。」と連絡をもらいました。私のブログをきっかけに、これまでしていなかったことをすぐに行動に移した話しをお聞きして、なんとも面白いし、ありがたいことだなと思います。

また、その友人から「みっちゃんが大学に行っている姿を見て、自分も行こうと思った」と言ってくれました。私は誰のためでもなく、自分のために(自分のことにしか余裕が持てなかった)大学に行きました。その友人とも高校卒業後は疎遠になっていましたが、私の知らないところでいろいろ影響していたなんて、15年後になって報告してくれた友人に感謝です。

私は、これまでのいろいろな人との出会いやYoutuberの動画などの影響を受けて、自分の気持ちを少しずつオープンにできるようになり、自分の時間を大切にするようになり、自分の考えや言葉を信じるようになってきました。人はすぐには変われません。ただ、自分の中には「こうしたら良いかな」「本当はこれを望んでいる」などの希望が必ずあると思っています。そこに気づく時間や余裕、機会があれば、誰でも自分の「こうしたい」に近づけられるような気がしています。

それにプラスして、「自分の背中を押してくれる人やこと」が必要だと思っています。それは偶然に出会うこともあれば、自分で探しに行くこともあるでしょう。家族、友人、同じ趣味のグループ、仕事仲間や、本や音楽、映画などあります。

偶然出会うにしても、探しに行くにしても、自分が必要としている「何か」があることに気づかないと、自分にとって大切なことであっても流れていってしまうばかり。その「何か」は漠然としていてもいいと思います。他の「何か」に触れてはじめて心が動くことを「感動」というのだと勝手に解釈していますが、その心の動きを日々ふりかえり続けることが大切なのではないかと思いました。

だからきっと、私の経験が、他の誰かに見つけてもらって、その方の背中を押すきっかけになったらいいなと思いつつ、発信活動を続けているのだと思います。

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