つぶやき

大人になっても、わからないものよ

大人になってからつくづく思うのは、これから何が起こるかわからないこと。

子どもの頃は、大人になれば何かわかるようなことが増えてくるのもかもしれないと期待を抱いていたが、全然そんなことはなかった。

いまだに、人の気持ちがわからないし、自分の気持ちをうまく表現することができない。できていると思えば、それで良いのだし、大人になればごまかせると言えば、ごまかすことができる。そして周りも、あまり突っ込まないでおこうと流してくれることが多い。

その分、大人になれば、自分で「こうしよう」と思って意識しないと、流れのままに生きていくだけになってしまう。

子どもの時は、周りと同じことをしても、学校に進んでいく順番は決まっているし、毎年の行事をこなしていけば、何かと新しい経験を積んでいくことができるから、大人とはその点では全然違うと思う。

 

でも、周りと同じことをするということは、最初から、私にとっては難しかった。

だからこそ、子どもの頃から、自分で決めていた感覚が強かった。

小学生に上がる前に、相談員から「あなたは養護学校に行くしかない」と言われても、普通の小学校に行きたいということを母親に表現した。それは、母親が私に聞いてくれたからというのが大きい。大人の方から子どもに歩み寄ってくれることで、子どもが大人になったときに、きちんと自分で考えることができるようになると思う。先回りせずに、本人の意思を確認してくれたことで、私は、選ぶことにあまり恐怖を感じない人間になった。

そんなこんなでいろいろなことがあり、心の中で血へどを吐くこともあった。でも、これまで何十年も、周りの友人に言ったことはなかった。私の自費出版の本を読んで、私の友人は「そんなにいろいろなことがあったなんて、全然知らなかった」と話した。私にとっては、友人とその場その場の楽しいことを話すことが、何よりも癒しだったから、社会で障害のある人に対する偏見や差別のことについては、ほとんど話をしなかった。

それに、「社会で用意されている環境が、障害のある人には合わせていない」ということを確信を持って伝えられるようになったのは、大人になってからだった。それまでは、きっと愚痴を言うように言っていたかもしれないが、それを聞き入れてくれる人がいるとは思っていなかった。それに、そのことを話してしまうと、私の心がどんどん腐っていくような感じがした。

それよりも、みんなの前では、「障害があっても、ポジティブに生きられる」ということを伝えるようにした。障害のない人に対する講演会や、福祉の仕事をしている人への研修会などで、障害者に対するイメージを変えるように伝えようとしていた。

そうしていくうちに、そういった癖が抜けなくなってしまい、いつも周りに受け入れられるように言葉を探して話していた。本当はもっと課題があったり、それについて真剣に考えてほしいと思うことも多々あったが、「のぼりぐちさんはポジティブですね。」という感覚を与えるか、言葉を選ばずに厳しい意見をこちらから言ったら、拒否をされるかどちらかだった。

 

私はどうしていいかわからなくなり、全てを投げ出してみた。もうめんどくさい。ほんとにそう思った。きっと、これまでどうにかしたいと思ってやってきたけれど、自分がこういう風に社会や人の気持ちを変えていきたいと思えば思うほど、それができないことに直面したからだと思う。

自分の日常にできるだけ戻って、おいしいものだけを食べて、やりたいことをするようになった。それすらも、ヘルパーさんとの考えが合わなくて、実現できるか不安な日もあったが、いろいろな別れと出会いを繰り返して、何とか落ち着いた暮らしができるようになった。

ヘルパーさんとの生活に追われて、友人との付き合いをほとんどなくして、10年近く。

また、ある友人と再会し始めて、沖縄に足を運んだ。

その友人は10年の空白を知りたいと言ってくれた。

友人が「知りたい」ということを私に言ってくれたことで、沖縄で私は過去の経験についても自然に話せるようになった。

 

本当は、その当時の葛藤について、その時にもっと話しておけばよかったのだと思う。

でも、言葉を選んできた私にとっては、その当時、選べる言葉がなかった。

 

やっぱり、子どもは、自然に出てくる言葉や行動でやっていけばいいと思う。むしろ、子どもの時から、色々と周りのことを考えて選ぶ必要はない。まだまだ表現の仕方を学んでいる子どもにとっては、もともと選べる範囲が少ないのだから。

大人は、「私が先に知っているから」と思い込み、子どもの思いや行動に「いい・悪いの評価」をしたり、子どもが失敗しないように先回りして、口や手が出てしまう。自分の失敗を悔やんで、子どもに同じ失敗をさせたくないという人もいる。

本当は、大人になってからも、どこで誰と再会し、何をするのか、どんな展開になっていくかは想像がつかないものだ。

だからこそ、子どもの時にあきらめたとしても、大人になったらいろいろな可能性が広がっているから安心していい。

 

大人になっても、わからないものよ。

だから、子どもは、もっともがいていい。

一瞬、一瞬が、私やあなたにとって、初めての経験なのだから。

 

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