みなさん、普段、意思表示はどれくらいできていますか?日常の言葉で表現すると、「普段、自分の考えや気持ちを伝えられていますか?」という質問です。
実は、「自分の意思を相手に示すこと」と「自分の意思が相手に伝わること」は全く別なので、今回は前者の「相手に伝えること」を中心に考えてみたいと思います。
「相手の気持ちを汲み取る」が行き過ぎると「相手に依存」する
私は、日本人の長年引き継がれてきた「相手の気持ちを汲み取る」というしがらみが、多くの人にとって、歯にガムが挟まったように取れなくなっていると思います。「相手の気持ちを汲み取る」にとどまっていると問題ないのですが、いつの間にか「相手を観察する」ようになり、「相手も自分の気持ちを汲み取ってほしい」と自分勝手に求めてしまうことも少なくありません。そのどちらにも共通していることは、「自分の意思を相手に伝えようとする前に、相手が自分をきちんと見てくれているか、気持ちを受け取ってくれているか」ばかりを気にしていることです。
それがさらに進んでしまうと、実は我慢していた、実はあなたの言っていることがわからなかったと「我慢の限界を超えてから、やっと意思表示をしてしまう」ことが起こってしまいます。私は、日本文化や教育により、そのような忍耐力を良しとすると思ってきました。むしろ、思う以前に、無意識にそうなってきたという方が正しいかもしれませんね。そして、それは、すぐに抜け出せることではありません。
知的障害の意思表示カードは
「自分の人生を自分でもつ」ためのツール
ただ、そのようなことをしてしまうと、「自分の人生が他人にコントロールされてしまう」のを、特に障害のある方は痛感しています。

こちらは、知的障害のある方々が、話し合いの場面で使えるように開発してきた「意思表示カード」の説明文です。実際に、それぞれのカードがあり、色で分けられています。それらを、話し合いを聞いている参加者が「今の話していることが理解できなくなったときに、カードをその場で上にかかげて、話している人に対して「今の言葉は難しすぎるので、隣にいる支援者に通訳してもらうので待っていてほしい」「もう少しゆっくり話してください」「わかりやすく話してください」などと意思表示をします。
そのようなツールを使うことで、「その場の話し合いについていき、自分の意見を伝えられる」のです。参加者なのに置いていかれたら、自分の意図とは関係ないところで、決められてしまいます。複雑な言葉や抽象的な意味などを理解することが難しいと、日常の会話の場面でもついていけなくなってしまい、周りの思いや行動によりコントロールされてしまうのです。
「自分の意見を自分で表現し、自分の人生をコントロールされない」ということは不可欠なことです。意思表示をしなければ、どんどん時間が流れていき、わからなくなっていきます。
言葉を「一応」理解できる人は、自分の意思を言わなくても、
その時は困らないが…
もし、知的障害がなかったとしても、私たちは本当に相手の言葉を理解できているのかは疑問です。「まぁ、こういう人だろう」と片付けてしまうことも多いのではないかと思います。なんとなくその場を過ごすことができるから、その時は困らないわけです。
しかし、時が経ったり、他の人の話を聞くと、「結局、何言いたかったんだろうね」「自分とは違うから理解できないよ」「あの人は、もっとこういうことを考えているんじゃないか」と、そのほとんどはネガティブな意味のことを想像し始めてしまいます。
自分が感じていることは、自身の言葉や表現からしか発信しようがないのに、相手のことばかりを考えていたために、ネガティブ感情が「相手の雰囲気が話しづらかったから話せなかった」という感想にすり替わってしまうのではないかと思います。
みんな、意思表示のためのツールを持った方がいい
知的障害がある方に、その意思表示カードやその助けを保障するべきですが、「知的障害だから、そのツールがないとダメなんでしょ?」と思えなくなりました。私も含めて、自分の意思を伝えるための言葉を練習し、話すことができなければ手紙にしたり、友人に伝えながらアドバイスを受けたりするなどの方法を身につけた方がいいと思っています。

前回の北海道手をつなぐ育成会さんでの講演会で、知的障害のある方へこのような方法を提示してみました。

自分の思いを伝える前に、整理をするために、準備の仕方もいろいろ持っておくといいのだと思います。
なぜ、そういうことが必要なのかというと「相手に伝えること」と「相手に伝わること」は違うので、「相手に伝わること」をゴールにしていくことが大切だからだと思っています。
そこが人生の難しさですね。考えるために時間が必要です。
この話題は、またいつか!
私は、自分の意思表示力や決定力の低さに、
なんていうか…劣等感?焦燥感?
自分でもうまく言えない思いを抱えています。
元々の性格なのか、30数年の入院生活ゆえなのか、
きっとどちらも相まってのことなのだろうけど…
意思表示をしようとすると疎んじられたり怒られたり、
そういうのが面倒になって意思表示をやめて流れに任せる…
でも、一方で「こちらの思いも汲んでほしい」と思ってしまう
非常ぉーーにめんどくさい捻れた人間になりました笑
これから自分を変えるのはエネルギーが必要だけど、
いまは自分の思いを伝えられる環境にいるんだ
というのは幸せなことだなぁ…と感じています。
とりとめもないコメントでごめんなさい><笑
かなっぺさん、コメントありがとうございます。
「いまは自分の思いを伝えられる環境にいるんだ」という
気づきに至っているんですね。
30年間も蓄積された思いが、今のかなっぺさんにとって
重たくなってきているようであれば、
意思表示して嬉しい経験で埋めていくといいのかもしれませんね。
相手に伝えることは、小さなことでもいいと思います。
どうしても、自分の命に関わることやシビアなことがあったときは
「思いを汲んでほしい」という思いがMAX状態になってしまいます。
それは、自分のことを守る上で必要なことだったと思うので、
たとえ、周りが「めんどくさい人間だ」と思っていたとしても
気にしない、気にしない。
でも、言ったら自分の生活が危ないと思う環境ならば、
自分を守ってしまうのは当たり前です。
入院生活の場合は、その方が多かったのではないでしょうか。
自分が損せずに、周りのせいにできるうちは、まだマシな環境なのかもしれません。
だからこそ、その時は少し考える時間があると思うので、
冷静にしっかり自分と向き合ってみると、
新たな世界が見えてくるかもしれませんね。
自分の代わりは自分しかいないので、
自分のタイミングで伝えてみるといいのではないでしょうか。
私も日々、模索中です。