30代になって、あらためて大切なことに気づくことがあります。あ〜、本当に、20代の時に、友人と出会ってよかったな〜って。
今もお付き合いのある友人は、私の場合、指折り数えるくらいしかいません。20代は、とにかく必死になって、色々な人と出会おうとしていました。中学、高校は人里離れた学校とそこにつながっている寮との往復だけの生活をしていましたので、障害のある人と、その支援をする職員の方としか会うことがなかったのです。その反動のせいか、学校を卒業し自由になって、ヘルパー制度も使えるようになって、学生時代にできなかったことをしようと頑張ったのかもしれません。そのおかげで、仕事の人脈や、福祉とは違う分野の人々と出会ったり、スキーなどのスポーツをしたり、夜な夜な飲みに出歩いたりと、若い時の体力だからこそできることをやってきましたね。
ここで、ヘルパーを利用している人などに伝えたいことは、「ヘルパーさんやヘルパー事業所のことを気にして、遊んだり、冒険したりすることをあきらめないこと」。
私は大学生時代、夜中のヘルパーさんが来る時間までに帰る予定でしたが、友人や大学教授と楽しく飲んでいて、帰りが間に合わず、待たせてしまったことがあります。マンション前で、その友人たちと笑って別れた後、ヘルパーさんに怒られました。遅れそうだとわかったときに、ご連絡はしたのですが、待たせられたことに憤慨していたようでした。
もちろん、遅れることの連絡や、待ってもらう場所の確保は必要だと思っていますが、それが整えば、そこまで気を使う必要はないと思っています。もし、私が遅れるせいで、次のサービスが遅れてしまうなら、私を無視して、キャンセル料も取ってもらったらいいとさえも思います。帰ってこないことをとても心配させていたとしたら、ごめんなさいと言って、でも、後は事業所側から契約上の決まりでキャンセル料を求められればいいのだと思うのです。
私がそこまで思うのには、理由があります。それは、人生は本当に短くて、その時代、その年代にしかできないことがあるから。
いつも「ヘルパーさんが何時に来るから、それまでに自宅につかなければならない」「外出時間を決めないといけないとヘルパー事業所から言われる」「自宅以外の場所での待ち合わせはできない」「居酒屋にはヘルパーは一緒に入らない」など、ヘルパー事業所によって決まりがあります。中には、「いつ外出するのかを1週間前に教えてほしい」と、それが当たり前かのように言っていた責任者の方もいました。
私はずっと、「自分の生き方にかかわる希望」と「職員の仕事上の効率」の板挟みにあって、もがいていました。子どものときから介助が必要だった私は、周りの人の都合や機嫌に合わせて、生理的なトイレさえも調整していたので、職員の方を優先したほうが「あきらめて、悔しくもならない」と思ってきました。しかし、その職員にとって、私は仕事場の相手であり、「相手は面倒くさい、効率が悪いと不機嫌になるかもしれないけれど、その人は、私の人生が面白くなくなっても、責任は持ってくれない」と気が付きました。
「そんなに自由に外出されたら、ヘルパーがやりにくいよ。」と言われて、あきらめてしまったら、どうなるでしょうか。そこで、経験できるはずのことができず、やっとその考えをする職員と離れたと思ったら、年齢を重ねて自分の体力がなくなってしまう、ということもあります。
ちょっとした介助や、自分で介助の方法を伝えられるなら、ヘルパーはキャンセルしたほうがお互いにとってもいいと思います。でも、それができない人もいますから、すぐに飛んで来られる安全な場所を確保して、そこで待っていてもらうのも一つの方法です。ヘルパーさんが安心して、待機できる環境を考えればいいのだと思います。
私の経験上、周りに気を遣っていた時期よりも、批判覚悟で「自由に外出したい」という姿勢で生活した時期の方が、それを応援してくださる方が集まってきました。あまり理解のなかった事業所にヘルパー派遣を受けていたときでさえも、スキー場に出かけてスキーをしたり、友人とだけで日本や海外に旅行に出かけたり、好きな人とデートをしました。それは、固定概念に縛られたくないという私の意地と、そこに、個人的に関わってくれたヘルパーさんのおかげでした。
そして、そういった流れで、出会った友人により、今の私は救われています。
関西のヘルパー事業所さんを紹介してくださったのも、彼が大学生のときに出会って、10年もお付き合いのあるNさんです。
そして、人生のことで悩んでいる私に、「Michikoは、こういうこと大事にしてたじゃん!」と思い出させてくれる友人も、10年以上のお付き合いです。
いろいろな出会いを経て、今も関係を大事にしている人ができて、今の私がある。そして、これからの私を個人的に心から応援してくださることに感謝。
驚くことに、生理的なトイレを遠慮しながら頼んでいた時期や、周りの批判が怖くていい子・人になっていた時期を合わせると約15年です。自分らしい生活ができるようになったのは、ここ最近で6年のこと。抜けるまでに大変ではありましたが、希望を失わなければ、必ず光は見えてくる!
実は、この何日かで、そんなことを確信しました。
このブログを10年前の私に見せたい。そんな思いで書きました。
ありがとうございました。
