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名刺を手放したら、8年ぶりに再会

最近、20代〜これまで持っていた名刺をほとんど手放した。おそらく500枚くらいはあった気がする。いくつものカードファイルにキレイにしまってあり、それらを崩してしまうことにためらいはあった。名刺をそろえてファイルにしまうのも大変時間がかかる作業なのだから、もったいないなと考えるのは当然である。

しかし、キレイにしまってあるからといって、見返すかといったら、それほどでもなく、むしろ出会った人を忘れかけている。Facebookは1年以上前に手放したが、友達が500名いるからといって、その人たちを全て覚えているかといったら、そうではないのと同じ感じだ。「もしかしたら、いざというときに探しやすいかもしれない」と思っていたが、そもそも人を思い出さないと検索さえもできない。思い出せば、インターネットでも検索できる時代なので、何かしら連絡が取れる。一番問題なのは、名刺なりFacebookの友達なりに入れていると、「いつでも連絡ができるという安心感」から「どういう人と付き合ってきたのかを意識しないので、忘れていってしまう」ということだ。

実際に、名刺を手放して、シュレッダーをかけていったら、不思議と自分の記憶の中に帰ってきた。年度によって出会った人々のジャンルが違っていることも面白かった。福祉系の人は多いことはもちろんだが、障害当事者や、国際関係の人、ライターの人などと会っていた時期もあったようだ。ちょっとだけ、「今」の生き方に結びついていることに、運命を感じた。

あるとき、ハローワークのパソコンで求人票検索をしていたら、隣の席に誰かが座ってきた。パソコンは2台しかなく、しかもかなり隣同士が近いので、場所は狭くないかと気になっていたら、なんと知っている方だということに気がついた。その方は、就労支援をしている職員さんで、前に住んでいた自宅の近くにあったところに事業所を構えている。私が就職活動をしているときに、私が全く別の就労支援事業所に通うために、車いすを押すサポートをヘルパーがやってはいけないという行政の決まりがあったので、ボランティアを探していたところ、そこの事業所の職員の方が最寄り駅まで車いすを押してくださったのである。もうかれこれ、8年くらい前になる。

それから全くお会いしていなかったので、こんな日を想像していなかったが、仕事を辞めて、名刺も手放して(その方の名刺も)いた矢先に、偶然の再会ができたのはまたまた運命を感じた一瞬だった。しかも、あのときの記憶をすぐ思い出し、お礼をまた伝えることができた。その職員の方は「なんとかみんなに就職をしてもらいたいと、まず始めようと思いでやってきて10年経ったよ。まずは10年と思っていたから、これからどうしようか考える節目なんだ。」と話していた。

節目か。

私も節目を考える時期だ。

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