私は、自然な音をありのままに表現している映画が好きだ。
「日日是好日」は、水を汲む音、お茶を立てる音、自然の雨の音、空気の音などが心にすっと入ってくる映画だ。
最近、インターネット社会で違和感を感じていた。それが何なのか、自分でも言葉にできなかった。自分はどんな文章を書いていくといいのだろうと問いながら、いろいろな文章を読んだり、Youtuberさんの表現を観察したりしていた。
でも、どこかしっくりこない。答えを探そうとして、どんどん見てしまっていた。答えはすでに出ていた。多くの人は、もしかして、自分のように、自分の心を安定させる「何か」を探しているのかもしれない、ということ。
「何か」を探しつつ、自分と他人を比べて、意気消沈する。
また、多くの人を駆り立てるものは、なかなか滅多に見れないことを見てみたいという思い、いや、欲望に近いものなのかもしれない。そこを刺激したら、注目率を上げられるのかもしれないけれど、それは私が目指していることではない。
「日日是好日」の終わりの15分間が泣けた。そして、今の新型コロナウィルスの影響下にいる私の心に響いた。
樹木希林さんの役である茶道の先生の言葉。
毎年毎年、同じことの繰り返しなんですけれど、でも、私、最近思うんですよ。
こうして同じことができるってことが、幸せなんだなぁ〜って
黒木華さんが演じる典子は、大学生から自分のやりたいことを見つけられないでいたが、時が何年も過ぎて得たことがあった。
世の中にはすぐわかるものと、すぐわからないものの2種類がある。
すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。
けれど、すぐにわからないものは、長い時間をかけて少しずつわかってくる。
なるほど、これか。
最近は、世の中全体が「すぐにわかるもの」を探してしまう傾向にある気がしている。
何十年もかけて、答えを導き出す、心の余裕がないのだろうか。
インターネットであらゆる情報がすぐに手に入る環境では、
「すぐにわからない」という状況にいることに耐えられなくなってしまう。
だから、「すぐにわかる」ものに、飛びついていく。
ゆっくり時間をかけて、日々、同じことを繰り返していきながら
やっと何かが見えてくる。
「すぐにわからない」ことを「ゆっくり時間をかけて少しずつわかっていくこと」で、体の芯にまでストンと落ちて、自分のものにしていく。
「すぐにわからない」ってこんなにステキなことだったんだ。