生きる

ワクチン、自分の生き方を問う

1日の途中で、1人だけ家から外に出て空気を吸う。なんてことないことだけれど、そんな些細なことをしようと思ったとき、そばにいるヘルパーさんに宣言しなければならない。(自分で玄関から出られたとしても、勝手に出ていくと不自然。ヘルパーさんがびっくりしてしまう)ほんの5分、私は玄関の外でぼーっとしていた。関西独特の生ぬるい空気さえ気持ちがいい。息を吸って吐いたとき、私はなぜ関西に来たのだろうと思い返そうとしたのと同時に、20代の時に夢見ていたコミュニティカフェの計画を思い出した。

そんな昔の夢、しかも忘れかけていた夢を思い出したのは、この5分間の休憩の間に、マンションの住人が私の前を通りかかったとき、その女性が「やっと天気になりましたね。」と声をかけてくれたからだ。そうだ、自分1人でいると話しかけられることが多かったんだ!と、忘れかけていた喜びを思い出した。女性に声をかけられたとき「そうですね、いってらっしゃい。」と思わず言ってしまった。その瞬間、私はコミュニティカフェをしたかったときがあったなって心の中でいきなり問いかけて、確信した。将来はそれに近い自分の姿があるのだと。

 

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私は、しばらく悩んでいたワクチンを前向きに考えることにした。これまでは、ワクチンを打つのが当たり前だという風潮に、少し気持ち悪さを感じていた。そして、それに真っ向から反対する人も出てくる。「これはどちらか決めるときではない」と思っていた。しかし、つねに情報がインターネットやテレビに流れてくる中、今の状況で勢い余った選択は、自分のためにしない方がいいと思った。

私が決められなかった大きな理由は、片頭痛持ちだからだ。ワクチンを打つことで、片頭痛が誘発される可能性がある。薬を飲んで痛みを抑えられるのは知っているが、片頭痛を持っている人は心筋梗塞になりやすいと言われており、ワクチンを打つことでそれを誘発しないかと心配だった。その心配の種になった情報は、どれほど正確なのかもわからないし、今回のワクチンは新しいゆえにさらにわからない。

一つ言えるのは、「怖いよね〜、打たなくてもいいよね〜」と漠然に考えるのではなく、大切なことだからこそ、心配なことをとことん「なぜ?」と問いかけていくしかないのだということ。他に頭痛持ちの方に相談して、この件をどう考えたらいいのか?考え方も伺った。そうすると肩の荷が降りて、改めて選択することにした。

この件は、先に打たなければならない医療従事者の方々の方が早く判断しなければならなかったし、悩む時間さえも与えられなかったと思う。さらに、接種後に起こった大きな症状や死亡について、国の責任はあやふやなまま、個人の選択と責任に委ねられていることには、今も疑問に思っている。そして、じわじわと感染の状況が近くから聞こえてくる。

だからこそ、私の場合は、自分はどうする?を問い続けて、「焦った時の選択は、いいことが起こらない」というスタンスを思い出した。ワクチン接種の予約はしつつ、今度は自分の片頭痛を見直すために頭痛外来へ行こうと思っている。

そして、自分の命について考えたとき、やっぱり生きている以上は、「5分の休憩時間」で気づいた自分の夢に近づきたいと思った。

 

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