つぶやき

ヘルパー生活をしていると、人間じゃなくなる?

うまく甘えるにはどうしたらいいのだろう、そんなことを時々、ふと考える。

20代の時に、友人とカフェでケーキを食べていると、「ほら、今、甘えたほうがいいよ」 とアドバイスされた。何のこっちゃと、私は自分の右手で持っているフォークを止めた。 その友人は、男性で、こういうときには自分で食べないで、「食べさせて」 と言ったほうがいいと言っていた。たしかに、私の手は見るからに不自由であるが、ケーキを食べるという目的は果たせるのだから、自分で食べることに疑問を持っていなかった。まぁ、そういう見方もあるかとうことで、その後、別な人で何度か試したことがある。

以前に出会い系アプリで男性に会うのを試みたとき、カフェでお茶をしたので、「食べさせて」戦略でやってみた。 食べるのには、自分で食べるより苦労しない点でたしかに良いのだけれど、相手がうれしそうにしているのを見て、なんだか違うなぁと思った。というか、やっぱり気持ち悪い。

戦略的にやるのはやっぱり良くないと思った。まぁやってみてわかるもんだから、それはそれで収穫がある。こんなふうにさらっと、気取って書いているが、本当にこの人いいなと思ったときには、「食べさせて」 戦略は迷いなく実行するかもしれない。

でも、いざ、甘えたい時に、自然に甘えるべきところでできない。それは、意識して甘えないようにしなければいけない状況に長くいたからだ。

 

誰かに何かをしてあげたい気持ち、誰かにしてほしい気持ち、そういう気持ちが素直に芽生えるのは、素敵なことである。めっちゃ、生きてるなぁ。生きてる証拠だなぁと思う。

ところが、私はそういうことをしない方が良い状況に立たされていた。

大きな理由としては、いつもヘルパーさんの手を借りて生きているからである。

ヘルパーさんは、自分の人生の中で欠かせない存在、私の生活の中に入り、サポートをしてくださる。 介助の内容によっては技術がいることもあるが、たいていは調理や洗濯、買い物、入浴、トイレなど、生きていくにあたって、 誰にとっても必要なことなので、私の生活に溶け込んでいくのが第一に大切なことである。

端から見れば、私は助けられている存在で、事実その通りなのであるが、 ヘルパーさんが私のことを気遣うように、私もヘルパーさんのことを気遣っている。ただそれが、本人にとって良いことなのか、どうかは別として。人間関係、全てにおいて、そのやり方が合っているかどうかは別として、相手のことを思ったり、気遣ったり、助けてあげたりしたくなる。

もう一度言うが、それが相手にとって良いかどうかは、やっぱりその相手となる本人が決めるわけだから、こちらが良かれと思ってやっていても、感謝の気持ち1つ返ってこないことだって多々あるのだ。 それは、恋人や家族など、関係が近くなればなるほど、思いが強くなってくるものだ。 逆に言えば、お互いの気持ちが噛み合わなくなった時、別れる原因にもなってくる。

 

でも、私の場合は、ヘルパーさんが離れてしまえば、私が毎日安心してトイレに行ったり、シャワーを浴びたり、食事をしたり、心地よく眠ったりすることが物理的にできなくなってしまう。 ヘルパーさんにとっては、仕事がなくなり、急に稼ぎが少なくなって生活に支障が出てくる。

だから、今は、どうしても「お互いに目的を果たすことができているかどうか」という物差しで決めてしまう癖がある。

 

でも、前からそういった割り切った性格をしていたわけではない。

 

私は、 毎日、ほぼ24時間ヘルパーさんと一緒にいるため、人生の中の人間関係ではヘルパーさんとの関係がとても大きなものである。

ありがたくも、私は人から好かれることも多くて、悩みを打ち明けられたり、深い話ができたりすることが多い。私のことを信用してもらわなければ、そういう風にはならないと思う。それ自体はとてもありがたいし、私もそういう人でありたいと基本的には思っている。

 

ただ、今まで出会ってきた中で、 ヘルパーさんによってはあまりにも思いが強すぎて、 他のヘルパーさんと深い話をしていると嫉妬されてしまったり、そのイライラが身体介助に現れて、乱暴な介助になってしまったりしたことがある。

もしかすると、私も普通に相手のことを思って、関係性を作ってしまったら、 相手が勘違いをして、もっと 深い関係でいたいと 思わせてしまうのかもしれない。でも、ある程度までは、 関係性を深めていったとしても、介助のことで何かあれば、私はしっかり言わなければいけないという現実があった。

介助が乱暴になってしまったり、時間がルーズになってしまったり、仕事中なのに、自分の家であるかのように自由にされてしまうと、急に身の危険を感じ、そこでその人との関係を止めなければいけないだろうと考える。 本当に危なくなってしまうこともあったので、お互いに楽しくキャッキャキャッキャと過ごしたいとか、お互いの人生に口を出したりとか、そういう事は、私の優先順位の中では二の次になっていった。

 

まずは、私は毎日トイレをしたいし、シャワーを浴びたいし、安心して食事をしたいし、 寝返りの介助も心地よくやってもらってよく眠りたい。私の切なる願いなのである。

だから、ヘルパーさんに介助以上のことを求めない。

逆に言えば、どんな生活をしている人でも、どんな過去の経験を持っている人であっても、介助に支障がなければ、誰でも受け入れられる。

そういう意味では懐が大きくなった。

 

ところが、普通の人間関係で言うと、きっとその物差しがあやふやなのかもしれないと思った。いろいろな人と普通の会話をして思ったことは、人って結構いろいろな人に甘えているんだなぁということ。 愚痴を聞いてもらったり、子どものお世話を手伝ってもらったり、お菓子を買ってもらったり、慰めてもらったり、助けてもらっていることはたくさんあるんだろうなぁと思った。

そういうことがうまくいくのは、きっと、24時間一緒にいるわけではないからだと思う。 その時に色々と助けてもらったからと言って、その後もずっと一緒にいるわけではなく、プライベートなところ、例えばお風呂で裸になった状態やベッドで寝ている状態のところにまで入り込むわけではない。 外で会う友人や職場の仲間などは、用が済めばいつでも、 離れることができる。当たり前のようだが、そういう自由があるからこそ、相手と良い関係が続けられるのである。

 

私は、ヘルパーさんとの関わりの中では、 働いてもらっている以上は、そのシフトの間はずっと一緒にいなければいけないのと同時に、思いのすれ違いは命取りになってしまうから、 そうならないようにコミュニケーションを取ろうとする。

思いのすれ違いが起きないように、何とか理解してもらうように心がけていく。

例えば、 私の体を持ち上げたり、寝返りの介助をしたりする時に、ヘルパーさんのタイミングで強引にやってしまうと、 体に緊張状態が続いてしまって、体が硬くなってしまう。 こちらとしては、 その時点で苦しくて、気持ちが萎えてしまう。でも、私は自分でも怒らないように落ち着いて「呼吸をしながら、一緒に息を合わせて」 と言わなければいけない。ところが、ヘルパーさんがまた同じことをしていたり、こちらが言っていることに対して、無言のままでいたりとすると、この人とどうやってコミュニケーションを取ったらいいだろうと出口が見えない状態になってしまう。

その時に、私にうまく質問できたり、コミュニケーションをとってやりとりできれば良いのだが、ヘルパーさんが考え込んで黙ってしまうという性格だったり、本人に聞くのは恥ずかしいと思っていたり、なんでそんなこと言われなきゃいけないんだろうと不満に思っていたりしたら、私からはどうすることもできない。

「無言のままでいられたら、何を考えているかわからないし、 お互いにやりとりしていかないとうまくいかないからわからない事は聞いて欲しいんだけど、やっぱり難しいのかなあ。いつも他の介助の時はできているのだから、もっと自信を持って。」 と励まして話せばいいのかもしれないが、ここまで話を持っていくには最低でも2、3時間はかかってしまう。これは大げさなように聞こえるが、こちらの話を聞いてもらうには、相手の気持ちをほぐさなければならない。

本当は、相手から歩み寄って、自分のプライドから抜け出して話してもらうのが良いのだが、ベッドの上で辛い状態になっている私としては、その時点で、もうお手上げ状態なのである。

これは、普通の友達や人間関係とは全然違うと思う。

だから、介助の関係の中で、うまく意思疎通ができているのであれば、 私はそれですごく幸せなのだ。だって、介助ができているんだもの。せっかくこちらが教えたし、そして相手にも苦労して覚えてもらった。それ以上のことを望む必要なんてないじゃないか。

そうやって生きてきた。

 

それでも、 私は、この考えに固執しているわけではなく、そうしなければならないから意識的にしている。 無意識にしているわけではないので、やっぱり誰かを心配したり、思いやったり、大きなお世話をしたりすることがいつかできればいいなと思っている。周りからそういう話を聞いて、内心「人間味があって、ええなぁ」と うらやましく感じている。

誰かが、他の人の愚痴を言っているのを聞いていると、そういうことが気軽に話せて、いいなぁと 思ってしまう。 (愚痴を言ってると言っても、どうしたらいいか、色々と試行錯誤している愚痴と、ただ他人のことを悪く言っている愚痴は全然違う。 自分は本当はどうしたらよかったのだろうと考えている愚痴は、見守りながら聞くことができるが、 他人のせいにする愚痴は聞かないようにしている。それは友達に言ってほしいと願っている。)

 

人間関係というのはいろいろな関係があっていいと思う。

私は、ヘルパーさんとの関係は切っても切れないが、その関係ばかりが自分の人生の大半を占めてしまうと、息苦しくなってしまう。 だからこそ、ヘルパーさんのサポートが必要な人であっても、それ以外の友人や家族、恋人、友人以上恋人未満の人などなど、たくさんの人間関係を持っていった方が、人間らしい人生が送れるのではないかと思う。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です