つぶやき

コロナ禍が少しずつ開けたら、なにが見える?

ギターの音色を聴きながらガレッドを食べる。チキンバジルのガレッド。半熟卵を崩して、とろっとろを楽しむ。このクレープ屋さんには、お客さんも自由に弾けるギターが置いてある。ギターの音色でイタリアの風景を思い出した。10年も前の話になる。イタリアのゆかさんは元気にしてるだろうか。運転席でオペラを歌ってくれたタクシー運転手さんは、あいかわらずタクシーで鼻歌を歌っているだろうか。海外に行くと、目に見える風景全部が新鮮だ。

何度も言うけど、イタリアに行ってから、もう10年経つんだ。今でもその時に出会った風景や人々がまぶたに映る。今は関西に住んでいて、3年目も折り返す。ここに来てから、まだまだ景色が新鮮だ。最近、北海道へ帰った時も不思議と周りが新しい景色に見える。もちろん記憶喪失ではない。これまで当たり前だと思って見ていたために、色があったはずなのに、鮮やかな色に気が付かなかったのかもしれない。でも今は、生まれてすぐに見えた景色のように、毎回新しい記憶として、次のわたしへと繋がっていく。

コロナ禍真っ最中から抜けて、だれかと食事をしたり、旅行に行ったりすることに迷うことが少なくなってきた気がする。けれども、これまでは家にいることが多くて、人と話すこともかなり減っていた状態から、いざ表に出ていくと、ほんの少し外に出ただけで、ほんの少し人と話をしただけで、なんか疲れやすくなった。コロナ明けの人付き合い。こんなにも疲れやすかったかと自分を笑った。

その代わり、人と話せることや会って楽しい時間を過ごすことは、言葉でたとえようのない新鮮さがある。どうでもいい雑談で、心が大きく開いて、元気になる。嬉しい発見だ。

いつかはコロナ禍が過ぎていくと信じていたけれど、家で修行僧のように、食べて、寝て、在宅ワークして……を繰り返していると、変わり映えのしない景色に気持ちが萎えるときもあった。いつかは元に戻るという希望があったからこそ、今を生き抜くことができたのだと思う。もちろん、ずっと家で過ごしていたとしても、変わり映えのしない景色だと思っていたものは、実は、自分の体や心の変化に気づくのに必要だった。

これから、また予想もつかない出会いを求めて、少しずつ羽を広げて飛んでいきたいと思った。まずは、今まで食べたことのないガレットを食べながら、新しい世界を迎える準備をしていこう。

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