のんびりとした雰囲気はどんな場所にあるだろう。すぐ思いつくのは、田舎で、木造の一軒家の縁側から庭や遠くに山が見える…といったような景色だ。もしくは、観光地ではない海辺や、広い草原を思い出す。どの景色も、人がそんなにいないし、その代わり自然が多い。想像していると、風や木の葉が揺れる音、鳥の鳴き声が聞こえてきそうだし、家の中で聞こえるのは食事を作っているときの包丁で野菜を切る音や、鍋で煮込んでいる音だ。
人間は、自分で何でもできそうに思えるが、実はそうではない。本来は、水が必要とか、トイレに行かないといけないとか、食べないと生きていけないとか、人間が生き続けるために「自然に組み込まれた生き方のルール」があるはずだ。しかし、いとも簡単に、「環境に飲み込まれて、生きるためのルールを無視する」のである。授業中にトイレに行くのは恥ずかしいとか、忙しすぎて水分を取るのを忘れるとか、ストレスがたまって過剰に食べるとか、過剰に食べないとか…。しまいには、例えば、トイレを我慢することが礼儀や社会のルールになってしまうこともある。そして、みんながそれを信じるようになる。
近頃、どうして、YouTubeで、何気ない食事や調理の場面の動画をたくさんの人が見るのだろうか。どうして、その動画の音に癒されるのだろうか。私もかなりの回数を見ていたとき、何かを取り戻したい気持ちがあったように思う。癒されたいからといって、いきなり田舎に行くことはできない。だけど、何かを自分自身に取り戻したくて、今の環境では、いろいろな世界中の動画があるYouTubeに尋ねるのであろう。目の前にあるスマートフォンに依存してしまうことがあるのは、目の前にあるスマートフォンで広い世界を見たいのかもしれない。
のんびりとした雰囲気は、たしかに広い世界にあるのだと思う。でも、環境に飲み込まれてしまう人間たちは、本当は目の前にある自然の音や、自分の体の正直な音や変化に気付きづらいのだと思う。環境と自分とが調和する瞬間、本当に、のんびりが戻ってくるのだろう。
