友人と一緒にドライブして、海に出かけました。海水の塩臭いにおい、太陽でキラキラと反射した海の波、釣りをしている人々…季節を感じてホッとしました。す〜っと深呼吸をすると、季節の空気が体に染み渡っていく。そんなことを感じられる幸せにひたっていました。
最近、命(いのち)のことを考えてしまいます。新型コロナウイルス で多くの人が亡くなったり、芸能人が自分で命を絶つことになってしまったり…毎日、だれかの人生が終わってしまっていると考えると、胸のどこかが苦しくなってきます。考えていても、過ぎてしまったことに対して、直接何かをすることはできないのですが、時々、この大切なことに意識を向けることは大事だと思います。
今日は、神奈川県相模原市で起きた「津久井やまゆり園事件」から4年を迎えた日です。今でも、当日の朝のニュースで聞いたときのショックを覚えています。朝5時半に目が覚めて、テレビに映っていたテープで覆われた施設の映像を思い出しました。
この日を意識している人は大勢いらっしゃると思います。亡くなった方のご遺族はもちろん、職員の方々や関係者の方々、障害当事者団体など、この日を忘れてはならないと動いていると思います。
札幌でも、知的障害の方々やその支援者で構成された団体・ピープルファーストや札幌みんなの会で、「わたしたちがつたえる いのちのたいせつさ〜津久井やまゆり園事件を忘れない」というイベントをしていました。

その会場には、今回の事件への思いを描く横断幕があり、私は「だれの命もうばわない。うばわれない。それが当たり前の社会になりますように。」と書きました。そして、何よりも、ご遺族の方のメッセージとご本人の思い出の品が展示されていました。
この展示会によって、命をうばわれた19人の方が確かに存在していたことを、私は心に留めておくことができました。犯人に死刑判決が下されましたが、もう二度と起こらないようにしないといけないのです。
そんな中、京都市でALSの方がツイッターで知り合った医師に鎮痛剤の過剰投与を依頼し命を絶ったニュースを聞いて、私は複雑な思いを持っています。ALSのご本人は自身の人生に希望を持てなかったこと、ツイッターを通じてのみ知り合った医師が短時間で実行に移したこと、ヘルパーなどの中にはそのことを知っていた人がいたかもしれないこと…何もかもがつながってしまい、その結果、命がなくなったわけです。
この件は、安易にコメントしてはいけないことだと思いましたが、この事件を知る人々が「障害があると大変だから仕方がない」と思ってほしくないと思います。どうして、ご本人だけが、この社会で感じる障害を背負わなくてはならなかったのでしょうか。どうして、実行した医師らは、「老人医療のやるせなさ」を抱き「安楽死を実行する人になる」と思ったのでしょうか。だれかの命を絶てば、良いように変わると思ったのでしょうか。とても短絡的な考え方だと思いました。
周りの人は、自分の正義感や焦燥感など抑えられない感情を、他人を利用して表すべきではないのです。だれかが亡くなって、だれかが黙ってしまうような状況を作ってはならないのです。同じ土俵で、きちんと言葉を交わして、この社会のやるせなさを変えていくしかないと思います。
それは、決して難しいことではなく、「命」について考え、自分が幸せに生きる方法を模索していくことなのだと思います。自分を大切にすることは、だれかの命も大切にすることなのだと思える社会にしていきたいと思いました。
私には何もできませんが、考え続けていくことが私にできることなのだと思いました。