この世には
「障害のある人」と「これから障害者になる人」しかいない。
このタイトルの言葉は、ある方のお母さんが話していたことである。それは、名言だと思ったので、今日はこのことについて掘り下げて考えてみたいと思う。
シンプルすぎて、もうこれ以上何も言うことなしである。前回の記事にも関連して、元財務相の谷垣氏のように、突然障害を負ってしまうことがある。障害を負わなくても、いつかは高齢者となり、体の色々なところの機能が落ちてくる。
私も含めて、「今、この瞬間、自分に関係ないと思っていること」は後回しにしてしまう。地球の温暖化で異常気象が世界中で起こっていること、日本の食物の自給率が下がっていること、私たちの食べている野菜や肉が防虫剤などで汚染されていることなどに、どれだけの危機感を感じているだろうか。
私は、「今、この瞬間、目で見て、耳で聞いたことだけに反応するのが精一杯」なことに気づき始めている。それか、楽しいことだけを考えて、見ない・聞かないようにしている。
でもね、なんだか自分の中に何もないように感じてしまう。過ぎていく時間の中で、楽しいことをしたあとに、何も残っていない感覚。
やっぱり、自分はこの社会でどうしていきたいのかを考えて、ちょっとトライしてみて、わぁ〜ダメだったなとか、いい兆しが出てきたような気がするなとか、気持ちがどんどん動くことをしたほうがいいと思う。
その「どうしていきたいか」は、自分だけに関わることだけでなく、誰かのためになるようなことをすると、もっと「今、この瞬間、何が自分の周りで問題になっているか」を体と心で感じられると思う。
その根本となる考えに、最初に示した「この世には、二つのタイプの人間しかいない」という現実が隠れていると思った。
今、障害を負っていない方は、障害者に対してイライラや、かわいそうという感情を持っている人もいるかもしれない。
今、障害のある方は、健常者をうらやましいとか、何でもできるんだからいいでしょ?と思っている人もいるかもしれない。
もしそうだとしたら、お互いに勘違いをしている。
みんな、障害を負う暮らしをすることになるのだから、先にその経験をしている方は、そうなったときの生き方を伝えていけばいいし、今はまだ動くことができる体なら(無理をしない程度に)できることをやっていけばいいのである。
向かう道が一緒ならば、お互いに助け合っていけばいいではないか。
今の素直な感情は大切に、でも、相手に押し付けずに、具体的な行動に持っていこう。
なんて思う、今日この頃だ。