あいうえおエッセイ

おもちゃかぼちゃと葉牡丹(ハボタン)

大晦日があともう少しでやってくる。気の利いたことをここに書いていきたいが、今年の最後の方だからと言って考え過ぎてしまうと、面白みのないことしか書けない気がする。昨日、しばらく連絡を取っていなかった友人にあえて連絡を取ってみたら、近況を知れて嬉しかった。「ちょうど連絡しようと思っていた」というメッセージをくれて、タイミングが良かったことに心が躍った。今日は、私のヘルパーだった友人とオンラインで雑談をした。その友人に、この前おもちゃかぼちゃを送ってもらったので、リビングのテーブルに飾ってある写真を披露した。関西に来て初めてみた「葉牡丹(ハボタン)」とともに、黄色いおもちゃかぼちゃを並べてみた。

なんの変哲もない日を過ごす。それがなんだか嬉しくて、ほほ笑んでしまうから、外から見たら気持ち悪いかもしれない。もちろん、20代のころも、そんな日常はあった。仕事のあとの焼き魚とともに飲むビール、友人との誕生会、海の塩の匂いをかぎながらのドライブ…。どれも楽しかった思い出だ。でも、今とはかなり違う。どこが違うかといえば、「一生懸命さ」かもしれない。20代は、空きアラバどんな時間でも無駄にしたくないと思うほど、楽しむことに一生懸命だった気がする。少々の疲れはまったく気にしない。そんなイケイケゴーゴーだった。

当時、私の生活を見ていたヘルパーさんはどう思っていただろう。実は、千差万別だった。ポジティブでいいねという人もいれば、ヘルパーとして仕事で付き添うときついと思っていた人、わがままだと思っている人など。反対に、もう少し遊べばいいのに…と思っている人までいた。これはどうしたことか。私は、そういったいろいろな考えをする人たちに囲まれて、20代の私は困惑していた。ヘルパーさんは、私の生活空間にいて、日常的な家事、着替えや入浴、トイレなどの介助のために、私と面と向かうことになる。ということは、私も向き合うことになる。シフトの時間に合わせて、ヘルパーさんは代わる代わる交代するから、まぁ、なおさら混乱する。一方で、人が変われば、空気の流れも変わるから、息が詰まり過ぎないので、良い点でもある。

こうして振り返ってみると、家の中には、人の流れや空気の流れがあるのだということに気がつく。ヘルパーをしている友人は、在宅でケアに入っているとき、呼吸を意識したことがなかったと話していた。私は最近、呼吸を大事にしていて、息を吐くと緊張感から解放される。たとえ、周囲が騒がしくても、呼吸をしっかりしていると、自分の真ん中に芯があって、気持ちが誰かに持っていかれるという不安がなくなった。20代のときは、そこに気がつかなかった。周りの人の考え方や思いに引っ張られそうになる感覚から抜け出せなくて、何かで自分を覆わないと、自分を保っていられなかったのかもしれない。

関西で初めて買った「葉牡丹(ハボタン)」の花言葉は、「祝福」「愛を包む」なのだそうだ。この花言葉を知ったとき、あーあ、不安が元になって、自分を何かで覆ってしまうのとは全然違う、と思った。でも、よくよく見てみると、「愛で包む」のではなく「愛を包む」のか。そう思うと、過去の私がやってきたこともまた「愛を包む」だったのかもしれない。自分の心そのものが愛だったとしたら。おもちゃかぼちゃがきっと教えてくれるだろう。

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