旅は突然はじまる。即決したEikoさん。
2012年11月2日から12泊13日、タイ経由でイタリアに旅に出かけた。すべては、いろいろな人との出会いや航空券が安くなったことなどが重なって、実現できた。
イタリアに住んでいるYUKAさんは、まだ日本にいた時からの友人だ。この旅行を計画するよりももっと前の2年前に、ステキな女性のEikoさんを紹介してもらった。Eikoさんは、杖をついていて、ゆっくり話す、物腰のやわらかい60代の女性だ。
Eikoさんと初めて出会った頃から2年が経ち、その間は、そんなに顔を合わせていなかった。
私は、いろいろ理由があって、イタリア旅行は今しかできない!と急に企画をした。行くなら、Eikoさんが適任だ!と思い、さっそく電話をしてみると、「Michikoちゃんだったら、いいわ~、行きたい。」とその場で返事をくれた。
「Eikoさん、そんなに早く返事して大丈夫ですか?私と行くんですよ、ご家族とか心配されないですか。」と誘った私が一番驚いた。
「家族は心配するけれど、私の性格、わかっているからあきらめるわ。Michikoちゃんと行ったら面白いことが起こりそうだよ。行きたいわ。」
あまりにも早い返事に、Michikoの方が止めにかかりたくなってしまった。念のため大事な話もした。「Eikoさん、私は自分で車いすから乗り移ったり、トイレや入浴もできないの。それは、私が周りに頼みます。お互いに自分のことは自己責任でやりましょう。」Eikoさんもすぐに理解してくださった。
Eikoさんは、手先はMichikoより器用なため、食事の時に機内食のふたや袋を取る、ティッシュやスプーン、フォークを取り出すなどの手伝いができる。Michikoは、言葉がしゃべれるため、アテンダントとのやり取りを担当することにした。自己責任だけど、お互いに助け合うことを基本に旅を始めることになった。
Eikoさんは、どうしてこんなに早く決めてくれたのだろうか。それは、Eikoさんの生き方が関係しているのかもしれない。
朝起きたら、昨日できていたことができなくなる
脊髄小脳変性症という病気を初めて知った。それが、Eikoさんが抱えている難病の名前である。立つ時や歩く時にふらついたり、手は動かすことはできても、何かをやろうとした時にうまく使えなくなったり、ろれつが回らずうまく話すことができなくなったりする神経の病気である。発症年齢や原因は人それぞれであるが、一般的に痛みはなく、症状はゆっくり進んでいくと言われている。
Eikoさんは、室内や短い距離で歩く時は杖を使って歩き、長距離や道の状態が悪い場合は、タクシーや車いすを使うことがある。字を書くことは苦手であるが、料理をしたり食べたり、衣服の着脱や入浴を行ったりすることは自分でできる。ゆっくりとお話をされるために、自身は「うまく話せなくてごめんね~」なんて話すこともあるが、それが返って、落ち着いてやわらかい雰囲気の女性らしさを感じる。
Eikoさんとの関わりがきっかけで考えるようになったのは、進行性の病気と向き合う「精神的な強さ」だった。Michikoは、脳性まひという障害を持っているが、障害の状態は悪くなることはない。体調管理を怠ったり、体に無理を加えたりすることにより、他の場所に症状や損傷が出る場合があるが、障害の状態は固定されている。しかし、Eikoさんは30年ほど前に自身の体の異変に気が付き始め、確実に病気が進行していることを感じながら、日々生活をされてきた。当時は、仕事や子育ての真っ最中であった。
「今思えば、もっと前から、何か体がおかしいと感じていたよ。」とEikoさんは話していた。Michikoは、生まれつきの障害のため、障害のない体の状態がわからない。脳性まひ特有の「足や手の筋肉にビンッと力が入って、自分の意思で力を緩めることが難しい体」も、Michikoにとっては「普通」だった。
他人と比べると、もちろん普通じゃないことはわかるが、幼い頃から、この特徴の体と向き合わざるを得なかった。と言ってしまうと、暗い感じに聞こえるが、それがMichikoにとって自然のことであった。この状態の体でどうやって生活していくのか?と考えていくと、歩けなければ車いすを使うし、手首を回すことができないために箸を使えないのであればスプーンやフォークを使う…、一つひとつ、代わりの手段で解消していった。
進行性の病気を持っている人の中に、「朝起きたら、昨日までできていたことが、できなくなっているかもしれない。」と表現する人もいる。その感覚は、わかるようで、なってみないとわからないことだ。もっと言えば、「今眠ってしまえば翌朝、自分は息をしていないかもしれない」という感覚は、その病気の方にしかわからない。自分自身がそういう状態にいないと、言葉で説明しようとするとうわべだけの言葉になってしまいそうだ。
いつまでも時間があるなんて、幻想だった
2009年に、Michikoは病院でホスピスの患者の方へのボランティアを行ったことがある。週に1回、病棟の共用広場でお茶会を開いており、お茶会に来られた患者の方と話し相手をさせてもらった。
そこで、Michikoより若干年上の車いすに座っている女性と出会った。ちょうどキレイにネイルをされていていることに気が付き、そこから話が弾んで「ネイルをやると気持ちも明るくなりますよね。」と話をしていた。その女性から「とても明るいですね。笑顔が素敵です。」と褒めていただいたことを今でも覚えている。
本当は、毎週、ボランティア活動をしたかったのだが、日々の生活や就職活動に忙しくなり、2,3週間に一度や2か月に一度など、頻度は少なかった。またこの女性と会えるだろう、今は何をしているかな?時々思い返しては、次回の活動を楽しみにしていた。
しかし、それが最初で最後の思い出だったことを、久しぶりに足を運んで知ることになった。女性が亡くなっていたのだ。 その後、忙しくなってしまい、ボランティア活動を行うことが難しくなってやめることにした。その最後の日に医療ソーシャルワーカーの方から、重い言葉をいただいた。「このボランティア活動は、長く続けるほど患者様から深いことを教わる活動です。続けられないことは非常に残念です。」と言われた。
「今、生きていることが、永遠じゃないこと」を突き付けられたような気がした。脊髄小脳変性症とガンの病は全く違うものであるが、「自分の体から病気の進行を感じる日々を送る」という意味で、Eikoさんの生き方と、ガン患者の女性との思い出と重なった。
日常の無力感から、抜け出したい一心で
私は、この頃、就職活動に行き詰っていた。「車いす移動不可」「自分で通勤ができる者」「身障者トイレなし」と書かれてある求人を何百枚とみて、面接にやっと進んでも「トイレ介助は難しい」と言われて悔しい思いをしてきた。
介助を受けられる仕組みや制度があれば仕事はできるのに、十分に整っていないために、会社の面接で何も説明ができなかった。そこで「障害者は無力である」という「どう努力したらいいかわからない無力さ」を味わってきた。そして、「他人の手を借りて生きることを最初からやり直したい」という思いが爆発をした。
本当は、自分でお金を貯めてから行きたかったが、それではなんだか遅い様な気がしてならなかった。どれくらい費用がかかるか見当がつかないまま、「今しかタイミングがない」という気持ちだけでまずは動いてみることにした。それがYUKAさんとのメールの始まりだった。そこから、インターネットで通話できるスカイプで連絡を取れるようになり、時差8時間で朝と夜が逆転するふたりが、お互いになんとか時間を取って打ち合わせを始めていった。時期はいつにしよう?安いチケットを取るには、半年以上前から予約をしなくてはならない。秋頃だったら、Michikoの介助をすることができそう。10月、11月はMichikoが専門学校で非常勤講師をしている時期だ!!どうしよう、ずらすことができるか相談してみる!…スカイプで毎日のようにメッセージのやりとりをした。
そこで偶然にも、タイ航空の激安キャンペーンの情報をYUKAさんがキャッチした。新千歳空港から直行でタイに行き、滞在した後にイタリアに行くことができる便があった。しかも、往復10万円で行けることがわかった!これは今しかないのだ、迷っている暇がない。すべては順調に進んでいる感覚だ!いざ情報収集すると、タイミングよく貴重な情報が入ってくる。調べてみなければ、わからなかったことがどんどん見えてくるのだ。
この先、どんな展開が待ち受けているのか、楽しみで仕方がない。
つづく
【2020年記】今、過去に旅をして良かったと思う
このエッセイをまとめ始めた今、イタリアでの旅をはっきりと思い出してきている。もうあれから8年も経っている。あの時、思い立って旅をしておいて良かったと、心から思っている。
なぜなら、長時間の旅や、いろいろな方に介助をしてもらいながらの旅は、ある程度エネルギーが必要で、それは早めにしておいた方がいいからだ。年月が経って行くと、体力は少しずつなくなっていく。
その代わり、歳を重ねていくたびに、限られた体力をどう使っていくと、我慢せず、無理しないで楽しむことができるかを知ることができる。
その時の年齢相応に、できる限り楽しむ方法を探していけばいいのである。
イタリアに一緒に行ったEikoさんは、あれから8年経った今も、また新しいことをしたいな〜とおっしゃっているのだ。
私も、今の年齢でできる「最高」のことをやっていこうではないか。
追記
この記事は、2012年11月2日から12泊13日でタイとイタリアへ旅をした時のノンフィクションの物語です。以前に本を出す予定で書き溜めていたものですが、色々とあって出版には至っていませんでした。
それを知った友人が「それはもったいない」と言い続けてくださり、最近ようやくこちらに載せようと思い始めました。
連載ものになっていますので、ぜひゆっくりと読み進めてみてください。
今では、新型コロナウィルスの影響で、タイやイタリアに住んでいる友人や出会った人々が元気に過ごしていらっしゃるか、心配しています。
友人に気づいてもらえたら嬉しいなという思いで、連載で載せることにしました。
どうかお元気でいらっしゃることを願って。