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歳をかさねると、ほどよく、どうでもよくなる

6年前のブログを読むと、前の私と今の私の違いをまざまざと感じる。一方で、変わっていないところにも気がつく。

みなさま、2014年が明けました。
あけましておめでとうございます。
年賀状では、コメントを書く時間がないまま出してしまったので、
さらっとあっさりしたものになってしまいました。
ブログを拝見していただきありがとうございます。
今年は、なんと20代最後の年ですよ!
早い、早すぎます。
大人になっていくにつれて、大変なこともありますが、
なんだかんだ、過去の私より、今の私の方が好きです。
20代前半までは、「もっと大人に、もっと成長しなきゃ」と頑張っていましたが、
今となっては、「ここはもう変われないな、自分の性格はなんだかんだ変わらないじゃん」
っていうことに気が付きます。
でも、いつまでも、何かを目指す大人でいたい。
一生懸命さを持っていたいとも思っています。
正月早々の読書、「北極男」

荻田泰永さんの言葉で印象に残ったこと。
「北極を冒険することは、僕にとってはあくまで手段であって、目的ではない。
<中略>
僕にとっては、主体性をもって能動的に生きること、、
それこそが「生きる目的」なのかもしれない。」
「僕は北極を旅している途中、自分が自由だと感じる瞬間が何度もあった。
自由とは必ずしも、何の制約もない状態のことを言うのではない。
逆に北極にはどこにも逃げ場がなく、その激しい自然環境下は制約だらけで、
明日を生きられれるだけの保証もない。
しかし、その状況において、生きるための判断を下すのは自分自身であって、
その判断によってもたらされるであろう結果のすべてを引き受けるのも
自分以外にない。
そして、自分がとるべき行動がくっきりと明確になった瞬間、
僕は自分の心が自由であると感じることができるのだ。
たとえ、その判断によって肉体的な自由が奪われる状況になったとしても、
それを受け入れる覚悟さえあれば、
主体性は自分の元に戻ってくる。」
私は、荻田さんの本を読んで
自由がない、自由がない、と言っているのは、
自分で自分の生き方を選んでいないからかもしれないと思いました。
今年は、だれかではなく、自分で選んだ生き方を目指します。

2014.1.3

この記事について、今の私の感想を書こうと思ったが、すぐ思い浮かばない。むしろ、20代最後であることに特別な感覚を持っていたことに、懐かしさを感じているだけだ。

「自分で自分の生き方を選ぶ」ことは、今も私の基本の考え方である。ただ、そこまで、それについて文章にするほどの気持ちではなくなった。ことばにすることで、自分の中に落とし込んでいくことができると思う。そう考えると、ことばにする必要性を感じていないということは、もうすでに自分に落とし込まれているのかもしれないと思った。

今は、そんなに意識を持たなくてもいいのではないかと思っている。ほどよく「どうでもいい」という余白を、頭の中につくっておくと良さそうだ。

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