ご家族・すべての方へ

「障害者になったらもうダメ」なら、社会を改善するしかない

ひそかに応援している藤原しおりさん(以前はブルゾンちえみさん)や、たかまつななさんなどが、社会で起こっている様々な課題を「自分事として考えよう」と声を発信しています。

私は、ここ1年以上、体や心の回復だけに専念をしていたので、すっかり自分のやってきたことを思い出すことに時間がかかっています。

私は、そんなに疲れているのでしょうか。

2017年、日本知的障害者福祉協会の「さぽーと」という雑誌に「人として、自分事として、障害のある人と向き合う」というテーマで投稿しました。

この投稿は、福祉関係で働いている方々へ書いた内容で、「障害のある人をサポートする人」を対象にしています。しかし、ここで伝えたいと思ったことは、すべての人に届けたいことです。

福祉の仕事をしている人だけではなく、そもそも、この社会の根っこの部分から、つながっている問題なので、この社会で幸せに生きたいと思っている人みんなに知っておいてもらいたいのです。

障害者として生きてきた私は、少なからずこの30数年間は、この日本は障害のある人にとって、まだまだ生きにくい社会だと思っています。障害があるだけで、なぜみんなと同じ学校で勉強できないのでしょう?できたとしても、迷惑をかけているのではないかと肩身の狭い思いをしなくてはいけないのでしょうか?それは、大人になって働くことや、結婚すること、子どもを授かり育てること、生きがいを持って一生を過ごすことにおいても、付きまとう問題だと思います。

自分事として考える近道は、「自分が障害者になったらもうダメ」と1ミリでも思ってしまうかどうかを考えることです。

他のことを言えば、「子どもを授かったら大変だ」と思ってしまう、「仕事を見つけるのは大変だ」と思ってしまう、「歳をとったら希望を持って生活できない」と思ってしまうかどうかです。

1ミリでも「もうダメ」と思うなら、そこを思わないようにするには、どうしたらいいかを考え、意見を持つことが重要だと思います。

実は、30数年間「あ〜、もう疲れた」と本気で言ったことがなく、それを口に出すと、これまで踏ん張ってきた力が抜けて、もう力が入らなくなるのではないかと怖かったのです。

障害のある人が抱える社会の問題は、私にとっては、そもそも自分事なので、いつも立ち向かっていかなければ、みんなと同じように学校も仕事も行けませんでした。自分が悪いわけではないのに、学校に入学するときでさえも「言葉を選んで校長先生に許可してもらわないと行けなかった」のです。大学にも行き、旅行にも行き、仕事にも就くことができました。

しかし、周りの人は、その私を見て「キラキラしているね」「すごいね」「頑張っているね」「ポジティブだね」と言うばかりで、私は、なんでみんな他人事なんだろう?と思っていました。疲れていた要因は、ここにあったのかもしれません。

今でも親しくしている友人は、そういう言葉は言わず、それぞれの活動のフィールドで頑張っている人です。私は、何度もくじけそうになりながらも、友人に救われてここまでやってこられたのです。投稿の中身にも、自分事として考える友人の存在が書かれています。

障害者のことは、福祉の専門の人だけが関わることなのでしょうか?

この投稿を改めて読んで、そこに疑問を感じ続けていた頃を思い出しました。

それと同じように、社会に残されている様々な課題に、少しでも目を向けられるようにすると、複雑に散在しているように思える問題がパズルのようにつながっていることがわかるような気がします。

この記事を読んでくださった方は、1つでも2つでも良いので、気になる問題を調べて、掘り下げて考えてみてください。

どこから始まっても、きっと、「だれもが失ってはいけない何か」が見つかると私は信じています。

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